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「建築の民族誌」を考える――2018年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館を通して
5.議論の場としてのドローイング:「建築の民族誌」に関するふたつの会議から
2019/6/27
2018年5月26日、第16回ヴェネチア国際建築展日本館「建築の民族誌」のオープニングに際して開かれた会議は、モデレータであった建築史家Tom Avarmateにより、こう締めくくられました。
「ドローイングは、表現媒体としてだけではなく、建築家やドラフトマン、都市の形成過程にかかわる私たちが、「都市とは何か、何になりうるのか」を議論するときの手助けになるのです。」
 これは、特定のドローイングに対してではなく、状況についての発言であり、「建築の民族誌」展が一般公開されたほんの数時間後のことでした。キュレーター貝島桃代、ロラン・シュトルダー、井関悠(アシスタントキュレーターはシモナ・フェラーリ、伊藤維、筆者)による展覧会は、建物とユーザーの変化する関係、そしてその原因となる環境をテーマとし、主に線を用いて描かれた、過去20年の間に世界各地で制作された42点のドローイングからなるもので、日本館2階のギャラリーに展示されました。会議は日本館1階ピロティで、出展作家の数名が集まり開かれました。
 会議は2つのパネルディスカッションによって構成されていました。最初のパネルディスカッションでは各調査でのドローイングの用い方について議論しました。Tom Emersonは彼の大学設計スタジオが主導した脱工業化したグラスゴーの調査を、伊藤孝仁と富永美保(トミトアーキテクチャ)は彼らの建築プロジェクトを形成する相互関係のネットワークの図化を、David Trottinは都市の公共空間の調査技術を論じました。2つめのパネルディスカッションでは、ドローイングは社会的、文化的、政治的道具として扱われました。青井哲人は彼のチームの福島プロジェクトの日本の災害復興史での位置づけを、Florian Goldmannはアテネのサッカーファンの世界に関する調査の詳細を、Michelle Provoost(思いがけずWouter Vanstiphoutと一緒に)はCrimson Architectural Historiansのプロジェクトを発表しました。

©Simona Ferrari
日本館の1階では、木のテラスに展示用に制作された屋台が配置され、ドローイングのワークショップからシンポジウムまで様々なイベントが開かれました。

共に©Simona Ferrari
(左)1回目のパネルディスカッションの様子。スクリーンの横に座っているのは、左から、貝島桃代、Laurent Stalder、Tom Emerson、伊藤孝仁+冨永美保(トミトアーキテクチャ)、David Trottin。
(右)2回目のパネルディスカッションの様子。スクリーンの横に座っているのは左から、貝島桃代、Tom Avermaete、青井哲人、Florian Goldmann、Michelle Provoost、Wouter Vanstiphout。

これらを通して、Avarmateの言葉をより詳細に読み解くと、ドローイングは議論の場そして「小さな政治的仲介役」になるということが言えるでしょう。なぜならドローイングに携わるすべてものが、その成り立ちに関わるからです。「ドローイングは現実の模写ではないのです」とAvarmateは付け加えました。
 ドローイングは、描く対象を選択する抽象化の結果であり、その制作には多くの苦労と時間が必要であって、それは推論的実践を描き出すための「辛抱強い調査(recherche patiente)」と同じです。ある意味において、何を、どのように描くか、そしてドローイングをどのように使うかについての議論は終わることなく続きました。
2018年11月3日に開かれた2回目の会議では、ドローイングのアプローチについてさらに詳しく論じられました。スイス連邦工科大学チューリッヒ校の、建築理論・歴史研究所と建築のふるまい学講座が合同で開催した会議は、スイスのアインジーデルンのWerner Oechslin Library Foundationの図書館での、第11回建築会議でもありました。そこでは、まずŁukasz Stanekが冷戦中にポーランドの建築家が得た経験調査を支えた共同研究を論じ、次にDaniel Zamarbideがスイスのモンテ・ヴェリタにあるユートピア的共同体に関する調査を説明し、Jan Rothuizenは、マッピング技術としてのドローイングに向き合うことについて議論を展開しました。ここにはでは日本館展示の出展者以外の研究者も参加しました。社会人類学者のRaymond Lucasは、東京の三社祭に関して建築図面を用いた研究方法を提示しました。考古学者のLesley McFadyenは、ドローイングが先史学の研究にどれほど多くの情報を与えるかについて説明しました。都市研究者のMarc Angélilはブラジルの住宅に関する9年間に及ぶ共同研究を発表し、「建築の民族誌」の定義について検証し、参加者たちは共感をもって答えました。人類学者のAlice Hertzog-Fraserは、民族誌の定義とは、対象に共感しその声を聞く試みであることであると述べ、歴史学者のÁkos Moravánszky と Werner Oechslinは、民族誌を通じ、建築家による専門分野をまたぐ協働の歴史について述べました。

©伊藤維

©Simona Ferrari

(左)Werner Oechslin Libraryでのシンポジウムでは、同図書館の希少本の蔵書を見る機会にも恵まれました。例えば、Lesley McFadyen の講演後の討論では、Werner Oechslin は書架から古代ローマについての本「Del Palazzo de' Cesari 」(Francesco Bianchini、1738年)を取り出し、建築と考古学の共同研究の長い歴史を振り返りました。
(右)「Del Palazzo de' Cesari」(Francesco Bianchini)より抜粋した建築家Francesco Nicoletti のドローイングについて説明するOechslin。

©ETH-Bibliothek Zürich
Del Palazzo de' Cesari」より抜粋したFrancesco Nicoletti による古代ローマの宮殿の復元図《Drawing of the Palatine Hill in Rome》。Oechslinは、このドローイングは古代の遺跡よりもむしろシンメトリーなど18世紀バロック建築の特徴の影響を受けていると説明しました。このドローイングではBianchiniの研究とNicolettiの建築的な想像力が拮抗していますが、結果はNicolettiのイメージに偏っていることがわかります。

これら2つの会議では、ドローイングの特徴について、日常の暮らしを描くこと、複数の作者によって描かれること、当事者の関わりによる特徴を共有するものであることが取り上げられ、Avermateの発言はそのことを整理して考えるのに有効でした。
 しかしこの論考では彼が提示した「ドローイングは議論の場である」という考えを、さらにどう理解できるか、検証してみたいと思います。
ひとつの議論の場は、単に最終的な画像を見るよりも、ドローイングに埋め込まれたプロセスを考察するものです。先の会議はその現場を詳しく検証し、現地調査から、対象を地理的に分析し、描き、または描き直し、眺め、その意味を伝えるといった、ドローイングの変容のプロセス自体がドローイングにおいて図化されていることに着目するものです。例えば、トミトアーキテクチャの《カサコ 出来事の地図》は、建築がつくられる過程に起こった出来事を表したものです。建築家は2014年以来、地域を巻き込んで、横浜の古い家屋を、学生用の住宅兼コミュニティーセンター「CASACO」に改修するプロジェクトを進めてきましたが、そのドローイングは、そこでの会話や地域の観察を書き溜めたスケッチを、時間軸や地形に関連付けて配置していったものです。「《出来事の地図》は新しい出来事や物事を創造するためのプラットフォームです」という建築家の発言は「私たちは日常のつながりを見出すことができる」ことを意味しています。例えば、タクシー運転手が仮眠をとりたくなった時にたどる道程が再現されているように、このドローイングは、地域にとって、日常生活の暗黙知を、建築家に打ち明けることで制作されたのです。

©伊藤維
シンポジウムで発表する伊藤孝仁。

©トミトアーキテクチャ
《カサコ出来事の地図》。この地図には、伊藤と冨永が横浜の地域を観察、調査し描いたたくさんのスケッチがドローイングとして示されています。地図の縦軸は、この地域の地形を横軸は時間を示しています。そのなかでそれぞれのスケッチが、配置され、出来事の時空間の地図ができています。

©トミトアーキテクチャ
この一連のドローイングは、タクシードライバーが毎日昼寝するために丘の上に登っていく様子を描いています。個々のドローイングは赤い矢印で結ばれ、この物語と猫や果物屋など同じ近所のほかの物語が重なっています。この物語は運転手があくびをするところから始まります。それからタクシーが丘を登っていき、そこで車をとめて寝ているところが示されます。最後に、見る人の目は矢印を追って最初のドローイングへと戻り、この物語は再び始まります。

2つ目の議論の場は、複数の作者同士が、調整を必要とするのドローイングの制作状況にあると考えます。例えばStudio Tom Emersonの《グラスゴー・アトラス》は、そのような事例のひとつです。複数の学生が異なる都市部の敷地を調査しましたが、Emersonは、どのドローイングも「厳格なルール」に乗っ取っていると述べました。「そうすることによって、多くの人が別々に何かをする際でも、資料としてのまとまったものができるからです。」ここでは、A2サイズの紙を使用することから同じ線幅で描くことまで、さまざまなルールがありましたが、それらは単にグループワークのための作法ではありません。Emarsonは「私たちは選り分けることはしません。それがルールです。だから人びと、機会、動物、ランドスケープ、歴史などがすべて同じ画面の一部になっているのです。」と述べました。つまり、ルールは、対象となる地域を概念として示す方法も同時に提示しているのです。

©伊藤維
シンポジウムで質問に答えるTom Emerson。

©Tom Emerson with Theresa Behling, Laszlo Blaser
(左)《Glasgow Atlas》(Tom Emerson / ETH Zurich、2014年)より抜粋したドローイングは、グラスゴーの造船所で廃屋になっているエレベーターのシャフトを再現しています。かつてこの建物は地上の交通に地下通路がつながっていることを示しています。そのままでは見過ごされてしまいそうな半地下の建物の建築的な特徴を示しています。 (右)レンガ壁から馬車まですべての要素が同じ太さの線でなぞられていることに注目しましょう。これは、多くの学生が個別に作業しながらも統一感のあるドローイングを制作できるように、Studio Tom Emersonが設定したルールのひとつです。

3つ目の議論の場として、ドローイングの題材やルールをめぐる議論は、作者が過去に中断したドローイングを、別の作者が取り上げる場合、時間を超えて起こることを取り上げます。英国、ウィルトシャーの、先石器時代のイーストンダウン長形墳の建設に関するMcFadyenの調査は、この例にあたります。McFadyenは、過去の考古学者たちが同じ現場で10年前に描いた断面図を描き直しました。元のドローイングはそれらの材料を分類することを重視していたのですが、彼女はそれと向き合うことで、時間の経過によってどのように建設材料が相互に影響を与えたかを見出したのです。白亜紀の、角礫の無定形材に木柱が挿入された可能性を示す不連続性を、際立たせるために書き加えた点線を差しながら、「描き直すことは材料を変化しやすい形の問題として捉えることができるのです」と彼女は主張しました。つまり、描き直すことは、構造体についての過去の説明について、改めて議論することを意味しており、そこでの議論はひとつながりの平面の上に展開しているのではなく、時間によって形成された複数の平面を行き来することによって、動的なものであり、それによって生成されたり、再生成されたりするものとして展開しています。

©伊藤維
アインジーデルンでのシンポジウムで発表するLesley McFadyen。

©Lesley McFadyen
《Latitudinal Section of Easton Down Long Barrow after Alasdair Whittle》(Lesley MacFadyen、2003年)。McFadyenは、ドローイングを描くという行為はリサーチのツールとして有効であり、最終的なイメージと同様に重要だと述べました。例えば、この先史時代の遺跡の断面図はもともと他の考古学者によって描かれたもので、それを再描画する過程で、McFadyen は遺跡の水平層内の不連続性に気づき、それがこの構造物の施工過程に関して何を示唆するのか深く考察しました。

©Lesley McFadyen
この断面を再描画するなかで、McFadyenは堆積物内の垂直方向の不連続性に気づき、それらを強調するために点線を加えて描きました。この詳細図の下の左角と中央に描かれた二重の点線は、McFadyenが現在では消滅してしまった木柱があった場所だと確信している箇所を示しています。下の右角の一重の点線は、堆積物内の垂直方向の断裂を強調しています。

4つ目の議論の場として、ドローイングが作者を離れ、それを見るものに届く時に生じたことについて考えます。例えば《福島アトラス》の発表で、「私たちの日常の背後にある経済的あるいは政治的構造を明らかにする時」に、ドローイングは政治的な役割を担うことができると青井は主張しました。彼らのチームは福島第一原子力発電所の事故後、避難した家族2000世帯の生活を調査し、大災害だけでなく、より深い社会的変容も含めて記録しました。江戸時代の火事の絵図を参照すると、かつて日本の災害復興は「迅速的で円滑的、かつ周期的」だったと青井は述べました。にも関わらず、近代化された今日の建築環境においては、災害復旧にはより長い時間がかかり、その間、コミュニティは離散してしまう問題を抱えています。このアトラスは、この現実の断片をダイアグラムとして描き、複数のドローイングを次々に見ていくことで、見るものがそれらを連結させることで全体像を見出す行為を通して、この調査に参加することを促しています。

©伊藤維
ヴェネチアでのシンポジウムで発表する青井哲人。

©青井哲人、NPO法人福島住まい・まちづくりネットワーク、福島アトラス制作チーム)
《LIVING along the LINES—福島アトラス》Fukushima Atlas [LIVING along the LINES - 福島アトラス](2017年–)。このドローイングは、ひとつの家族の7年におよぶ避難の記録です。中央の地図はこの移動の様々な経路と原発事故の放射線による影響を受けた地域を示しています。地図のまわりのドローイングは、この家族が一時的に滞在した様々な環境を描いています。

アクソメのスケッチやダイアグラム、地図、日数など、ほかのテキストやドローイングを集めて並べています。

5つ目の議論の場として、ドローイングによる伝達について《Minha Casa—Nossa Cidade! 》をみてみます。Marc Angélilの研究は、2009年にブラジルで始まったローコスト住宅政策を批判したもので、2013年にリオデジャネイロで発表されました。「外で大きな暴動が起こっていた時期でした」とAngélilは振り返りました。当時、思いがけずジャーナリストがギャラリーに入ってきて、2ページにわたるエッセイを書き、それをオ・グロボ紙に掲載したというのです。「つまり、突然そのことが公にされ、私たちのプロジェクトは政治化したのです。ブラジリアの大臣がそれを目にして記事を読んで気に入り、展示を見に来て、それから試験的プロジェクトのために私たちをブラジリアに呼んでくれたのです。」つまりドローイングの伝達をきっかけに、作者以外の他の当事者が、それをどのように広めるかを議論するために集まったのです。

©伊藤維
アインジーデルンでのシンポジウムで発表するMarc Angélil。

©Marc Angélil
《Minha Casa—Nossa Cidade! 》(Marc Angélil, Rainer Hehl, Something Fantastic, ETH Zurich MAS in Urban Design、 2013 年)。このドローイングは、ジャーナリストのAudrey Furlaneto がO Globo紙でこの展示を報じた際に、リオデジャネイロのStudio-Xに展示されていました。

生活状況調査を行った後に筆者が考案した設計アプローチを視覚化しています。また、それは現代のブラジルの住宅政策の結果に対する新しいアプローチを提案しています。2013年、この案に可能性を見出した公共機関は、このアプローチの試すためのパイロットプロジェクトを設計者に依頼しました。

以上のことから、Avermateの発言は、ドローイングの方法に特化した2つの会議を橋渡ししたといえるでしょう。
では、「建築の民族誌」において、私たちは次に何を議論すべきでしょうか? それには、固定された個々の文脈ではなく、「ある状況におかれた実践者が集団として、その建築環境を観察する手段としてどのようにドローイングを用いているのか」という問題へと議論を開くことが、一般の人びとにとってもわかりやすいのではないかと考えています。そのためには、どうすればよいのでしょうか? それには、現在過去の調査において、現地調査での観察の状況を詳しく研究することが、ドローイングの方法論の構築にむけての第一歩となるのではないでしょうか。
翻訳=坂本和子
アンドレアス・カルパクチ Andeas Kalpakci
博士。スイス連邦工科大学チューリッヒ校の講師であり、第16回ヴェネチア建築国際建築展でアシスタントキュレーターを務めた。建築機関の歴史研究に重点を置いている。自らの学術論文を基にした、近代建築国際会議(CIAM)の機関史についての著書が近く出版される予定である。
シリーズアーカイブ
キュレーターを務めた貝島桃代氏が、展示の狙いを解説します。
「建築の民族誌展」にあわせて開催された国際ワークショップについて、参加学生がレポートします。
ビエンナーレ会場で ⟨Drawing around Architecture⟩ として展示された「カサコ 出来事の地図」について、制作背景やその後の展開、出展の感想などを伺いました。
今回は、出展アーティストのおふたりにお話しを伺いました。建築を題材とした作品も多いおふたりに、建築への興味や作品制作のお話、ビエンナーレ展「建築の民族誌」がどのように映ったのかなどを伺いました。
最終回は、「建築の民族誌」展に関連して開かれたシンポジウムについて、アシスタントキュレーターを務めたスイス連邦工科大学チューリッヒ校博士・アンドレアス・カルパクチ氏による報告です。ドローイングをめぐり、深い考察が展開されています。

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