「建築の民族誌」を考える――2018年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館を通して
4.出展作家へのインタビュー(2) 須藤由希子さん、山口 晃さん
2019/4/15
第4回目は、ビエンナーレ日本館出展作品「W邸」作者の
須藤由希子さんと「道後百景」作者の
山口 晃さんにお話しを伺いました。
「W邸」は、解体予定の家を絵に残したいという依頼で制作され、柔らかな鉛筆のタッチで庭や家の風景を細やかに記録した作品です。「道後百景」は、道後アート2016に際して描かれ、過去と現在が混ぜ合わさった独特な作品です。
今回もおふたりへ作品のお話を中心に伺いました。
須藤由希子さんインタビュー
──「W邸」は6回も取材に行かれて描かれたそうですが、特に何に着目されたのでしょうか。
須藤由希子(以下須藤) 最初にお伺いした時に家の中も外も全体的に拝見して、古くて立派なお家だという印象を受けました。お気に入りの窓の格子や蔵の中など、Wさんが見せたいところをどんどん見せてくださいました。Wさんのお母様が毎年料亭から譲り受けた鉢植えを植えていた庭など、随所に長年のエピソードが詰まっていました。そういった細かい思い出を、とにかく全部しっかり描こうと思いました。
©Yukiko Suto, courtesy of Take Ninagawa, Tokyo
「W邸 – 冬の庭」。Wさんが思い入れのあるものに着色されている。
──入り口の絵の視点が、少し上からになっているのはなぜでしょうか。
須藤 入り口部分の思い出深い花や飛び石などが見えるよう、上の方から見下げるようにしました。結果的に、浮遊感のような気持ちよさが「思い出」とリンクしているようで良いと思いました。現実の世界から少し離れた感じというか。
©Yukiko Suto, courtesy of Take Ninagawa, Tokyo
「W邸 – 玄関側」。会場の入り口正面に飾られた。
──鉛筆が主な画材と伺いましたが、なぜ鉛筆なのでしょうか。
須藤 最初に使い始めたのが大学生の頃で、好きだからという理由だけで今に至っています。
──鉛筆は恐らく人が一番初めに持つ画材だと思うのですが、何か関係があるのでしょうか。
須藤 多分あると思います。長く使っているせいもあるかもしれませんが、素朴さと親近感、質感、色味、こすった感じや消え残った感じも全部好きです。私の育った環境がコンクリートの灰色がベースにあったのと、静かでおとなしい私の内面性も相まって、他の画材で描くよりずっとしっくりくるのだと思います。
──色を着けるようになったタイミングはいつでしょうか?
須藤 初期の作品から少しずつ着色しています。花の絵は鉛筆だけだと埋もれてしまって全然見えないのと、綺麗な色をひろっていきたいという理由です。最初は色鉛筆でしたが、今は水彩絵の具がメインです。ジェッソと石膏を混ぜてキャンバスに塗った下地に描く時は、油絵の具を使います。「W邸」は下地に合わせて油絵の具と水彩絵の具を使いわけています。
──あまり人物を風景に描かない理由はありますか?
須藤 風景自体に興味があるので余計なものを入れたくないのと、人物よりも人がつくった痕跡を強調することを意図しています。
──瓦屋根や植木鉢を描いた作品が多いイメージがあります。
須藤 そうですね。初期の頃は、単純にデザインが面白いという理由で日本家屋を描いていました。例えば、なんでこんなに丸く?! っていうくらい木を丸く刈ることとか、すごく面白いと思って。瓦屋根の家を多く描いてるのは、私の生まれ育った家が影響していると思います。瓦屋根で庭が少しあって、楽しい思い出がたくさんありました。
これは私見ですが、戦後高度成長期にたくさん建てられたこれらの家には、自由な雰囲気や余裕のようなものをすごく感じます。とても楽しそうに見えるんです。
©Yukiko Suto, courtesy of Take Ninagawa, Tokyo
丸く刈った木のある家。
──日本館の展示を実際にご覧になった印象はいかがでしたか?
須藤 建築のドローイングは、それを土台に何かをつくったり、観察したことを絵にしたり、基本的には現実を表しているというリアリティが絵として素敵だと思いました。いろいろな国のいろいろな方の身近な問題が描かれているのが、とても面白かったです。どの国のどの場所にいても、自分の土地やまちや家はすごく切実に大事なもので、それらを集めて見ると世の中は素敵だなと単純に思えたことが、この展覧会の魅力だと思いました。
山口 晃さんインタビュー
──「道後百景」として描かれた十景の場所は、どのように選定されたのでしょうか。
道後百景 裏手の表
2016
25.7 x 18.2 cm
紙に墨、水彩
©YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery
建物裏の風景には山口さんや髭の町人の姿が。
山口 晃(以下、山口) 私が町を歩き回って何となく気になったところを選びました。地元の人が注目して欲しい部分と、外から来た人が見たい部分が違うことってあると思います。地元の人は「表の顔」を見て欲しいと考えますが、たとえ壊れていても、本来現れるであろう町の姿を描いていきました。別の消失点と角度を組み合わせて描いたので、実際には見えないものが見えたり、あるものがなかったりしています。この絵を見て描かれた場所に行くと「この通りではないけど、こういう場所だね」と思ってもらえるような作品にしたつもりです。
──これまでの作品を見ると、過去・現在・未来を横断しているように感じますが、道後温泉についてどんな未来の姿を想像しましたか?
山口 未来というより、その場所を野良で放っとくと建物や町がどう変化するのか、来し方からイメージしたひとつのビジョンという感じです。過去が合わせ鏡のように現在にオーバーラップした姿、あるいは現在のパラレルワールドのような。
──人がつくったというより、自然の摂理として現れる形ということですか。
山口 人も自然に含まれると思います。経済原理や精神性といった、人の行動の拮抗として現れる町の姿にリアリティを感じます。例えば、ホテルの土産物店で手作りの印刷物がごちゃっとしている感じも、そこに携わった人びとの現況のようなものが見えて、美しさとはまた違った趣きや面白さを感じます。
──過去・現在・未来を別のレイヤーとしてではなく、それらのつながりをひとつの作品で表現しているのですね。
山口 例えば、言ってしまえば皮膚もレイヤーじゃないですか。でも剥こうとすると痛くて剥けない。町の風景も同じで、要素として別々に見ることもできますが、一部のレイヤーだけを変えることはできない。レイヤーでもあり、ひとつのつながりでもあるということです。
──作品集に「まち」という項目がありますが、まちと建築、自然の3つで構成される都市の成り立ちをどう考えていますか。
山口 自然を「波」に例えると、波頭に出てくるのが「建築」だととらえています。不可分でありながら、領域としては異なっている。ですから僕は、地形も込みで建物を描きます。傾斜地が建物形状を制約するように、自然条件から生まれる建築が大好きです。寒いと穴を掘ったり暑いと高床になったり、建築がその土地の自然や暮らしの様子を映している。自然という波の、ある一瞬の建物であり、それを与えられた人びとの暮らしとして描いています。
インタビューについて図解する山口さん。(撮影:田上)
──建築に対する興味はいつ頃からあるのでしょうか。
山口 幼い頃から、家の広告の平面図に目で入っていくのが大好きでした。また、スケルトンの模型やジオラマの水面、桂離宮の新御殿の上段之間など、触れられそうで触れられない空間、それこそ目だけで入れる場所が好きでした。建築そのものというより、図面や模型をつうじて空想することに興味があります。図面と模型と建築は単なる過程ではなく、それぞれに異なる特性があるので別の楽しみ方ができると思います。
──今回のビエンナーレのテーマ、「建築の民族誌」についてはどのように感じましたか。
山口 それぞれが別のものとして位置づけられていることを、初めて知って驚きました。建築とは、地形や暮らす人の精神性の上澄みとして現れるので、普遍的な位相を定めることもできますが、地域性を無視することはできないと思います。以前、別の企画で藤森照信さんとご一緒した時に、建築は民族性がほぼ解消されているというお話を聞きました。全国どこでも同じように建てられる現状、民族誌という問いに意義があったのかもしれませんね。
──会場の他の方の作品はご覧になりましたか?
山口 はい。建築界の常識がわかってないというだけで、すごく気楽に見られて面白かったです。その世界でタブーとされているような見方をしていたかもしれませんが、それもとがめられない門外漢ならではの楽しみ方だったと思います。半ば自然物のように眺めることができ、違うジャンルっていいなと思いました。
──ご自身も立体作品を制作されていますが、平面と比べて立体の難しさなどはありますか?
携行折畳式喫茶室
2002
浪板、木、紙、その他
215×88×214cm
撮影:木奥恵三
(c)YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery
山口 実際につくってみると、当初のイメージから変わっていくところと、イメージ通り出来上がる両方の楽しみがありました。うまくいったり問題が起きたり、試行錯誤しながら作品に振り回されるのが楽しいですね。
──分野外の人が挑戦的な作品をつくっていると、こちらも刺激になります。
山口 確かに、そのジャンルのリテラシーを身につけるというのは、そこに沿った目をもつことでもあります。それをピボットフットのように軸として活動を広げるのか、ただ専門分野に閉じこもるのか、そこは気をつけたいですね。
建築とは異なる視点をもったおふたりのお話は、新たな発見や考え方をもたらしてくださいました。日常のささやかな風景にもその土地の歴史が息づいていると思うと、普段の景色を見る姿勢も変わりそうです。
これまで3回にわたり、学生目線でのコラムをお届けしました。いかがでしたでしょうか? 読者の方に、少しでもビエンナーレでの体験や発見を共有できていれば嬉しいです。
安喜祐真 Yuma Aki
筑波大学大学院
人間総合科学研究科 芸術専攻
建築デザイン領域 博士前期課程1年
貝島桃代研究室在籍
田上綾乃 Ayano Tagami
筑波大学大学院
人間総合科学研究科 芸術専攻
建築デザイン領域 博士前期課程1年
貝島桃代研究室在籍
シリーズアーカイブ
キュレーターを務めた貝島桃代氏が、展示の狙いを解説します。
「建築の民族誌展」にあわせて開催された国際ワークショップについて、参加学生がレポートします。
ビエンナーレ会場で 〈Drawing around Architecture〉 として展示された「カサコ 出来事の地図」について、制作背景やその後の展開、出展の感想などを伺いました。
今回は、出展アーティストのおふたりにお話しを伺いました。建築を題材とした作品も多いおふたりに、建築への興味や作品制作のお話、ビエンナーレ展「建築の民族誌」がどのように映ったのかなどを伺いました。
最終回は、「建築の民族誌」展に関連して開かれたシンポジウムについて、アシスタントキュレーターを務めたスイス連邦工科大学チューリッヒ校博士・アンドレアス・カルパクチ氏による報告です。ドローイングをめぐり、深い考察が展開されています。