【シリーズ企画】もっと知りたい!ヴェネチア・ビエンナーレ
4.キュレーターの山名善之氏に聞く、2016年のビエンナーレ
2018.03.08
今回は2016年のビエンナーレでキュレーターをつとめた東京理科大学の山名善之教授に話をうかがう。
――山名さんは、ヴェネチアでは、展覧会の準備に加えて、来賓あるいは評論家の人たちへの解説・紹介と精力的に動かれていましたが、「en」展についてうかがう前に、まず、会場となった吉阪隆正設計の日本パビリオンについて紹介いただけますか。
山名善之 62年前の1956年竣工で、国立西洋美術館よりも前にできています。鎌倉近代美術館と同じように、無限生長美術館というル・コルビュジエが考えた美術館のプロトタイプの影響を受けてできた建物です。1階はピロティになっていて、2階は卍形に構成された展示空間が吹き抜けの外部空間の中心の周りに配されています。2階の真ん中の床が抜けていて1階のピロティまで陽の光だけでなく雨も落ちてくるような空間です。卍形の空間は壁柱から広がっていく傘の構造を4つ組み合わせたもので、傘の骨(梁)以外のところにはガラスブロックのトップライトが付いています。
――2014年に伊東豊雄さんが改修されていますね。
山名 吉阪さんの設計がある意味過激すぎて展示空間としてはいろいろと不都合が指摘されていたんですが、伊東さんはトップライトを閉じて、さらにガラスブロックのトップライトの上に遮光のルーバーを設置しています。これで展示空間に自然光が入らないようになった。2階の床の真ん中の穴にもガラスをのせて空間を閉じることができるようにしました。
今回の展示では、オリジナルの姿が見えるように真ん中のトップライトと床の穴を開け、さらに、遮光ルーバーの4つの傘のうちのひとつのトップライトも開けてオリジナルの状態がわかるようにしました。
日本パビリオンのピロティ部分でインタビューを受ける山名善之氏(写真はすべて内野撮影)
2階の床の中央部分が開いていて1階から2階内部を見上げることができる
2階のトップライトからその下の穴を通してそのまま1階まで光が落ちる。1カ所だけ梁の間がトップライトになっている部分がある(写真右上)
――展示のほうですが、作家とテーマの選定について聞かせてください。
山名 今回は作家を選んだのではなく、プロジェクトを選んでいます。日本の建築と社会の状況をもっとも語ってくれるものを選びました。「en(縁)」というコンセプトによってそれらをはっきりと提示できたと思っています。
――ビエンナーレという場で世界に向けて発信してみて海外の反応はどうでしたか?
山名 とても良かったと思いますね。いちばん多かったのは、総合テーマである「Reporting from the Front」という課題に対して日本パビリオンが応答し提示したものが建築を通して見えてきたという感想でした。多くのパビリオンが社会問題、課題を提示しながらそれを建築の問題として解決していなかった中でそこが非常に評価された。あと、説明書きではなくて、建築の模型やドローイング、写真など、建築の言語というものを通して世界中の人々が理解することができたという点も評価されたのではないかと思います。
模型の並んだ2階の展示空間。左から、西田司+中川エリカ「ヨコハマアパートメント」、仲建築設計スタジオ「食堂付きアパート」、能作アーキテクツ「高岡のゲストハウス」、成瀬・猪熊建築設計事務所「LT城西」
成瀬・猪熊建築設計事務所「LT城西」の模型内部
――フランスの建築家で歴史家のジャン=ルイ・コーエンさんと話をされていましたね。
山名 彼は「模型にしても臨場感があってその場にヴェネチアから移動できるような感覚を味わうことができた」と言っていました。そういった中でアラヴェナによって提示された課題への応答を国境を越えてわれわれヨーロッパの人間にも理解することができたと。
あとこんなことも言っていましたね――まさにそこに行ったかのような感覚が味わえたのはフェティシズムがあったからで、建築はある時期から忘れてしまったけれど、フェティシズムは建築におけるポエジーを喚起するうえで重要なんだと。彼が言いたかったのは、ある種、極端ともいえるようなフェティシズムでもって建築へと見る人、体験する人を過剰に誘い込むことがポエジーを喚起するんだということ。つまり、社会性や一般性とかばかりを考えすぎると、建築のそうした本質的な部分がチープになるんじゃないかということですね。
3点とも西田司+中川エリカ「ヨコハマアパートメント」。絵画や絵筆までつくり込まれている
――つくりこまれた模型とともに、写真や映像の展示も効果的だったのでしょうね。
山名 社会の問題を提示する時に、建築のそういういちばん大切な部分を抜きにしてどこが何平米だとか定量的な話ばかりをしているパビリオンがありましたが、極端な話、そういうのは別にビエンナーレという場でやらなくてもいいんじゃないかなと思いますね。
――印刷されたもので読めばいいし、あるいはネットで確認すればいい。展覧会は実際に行ってモノ=展示作品を見る場であるということが忘れられてしまっているということですね。そして、もちろん、展示空間と展示作品の配置、レイアウトが可能にする、そこでしかありえない体験というのもすることができない。
山名 そうですね。そういった意味で、日本パビリオンに足を運んで作品を直に見て良かったというのは、ビエンナーレが終わってからもずっと言われていますね。
壁の部分が、左から今村水紀+篠原勲/miCo.「駒沢公園の家」、403 architecture [dajiba]「渥美の床」他。奥の映像がBUS「神山町プロジェクト」。手前の模型が能作アーキテクツ「高岡のゲストハウス」
左上:今村水紀+篠原勲/miCo.「駒沢公園の家」。左下:レビ設計室「15Aの家」(左)と青木弘司建築設計事務所「調布の家」。右:増田信吾+大坪克亘「躯体の窓」
――ビエンナーレという世界的な舞台でデビューした参加作家の人たちには今後どんなことを期待されますか?
山名 日本の現代建築は、建築の言語や技術的には欧米と同じような感じになってきたけれども、スピリットの部分ではアジア的なものをずっと残している。それが今回とても良かったと評価をされた。今の若手の建築家たちはそういった非常にいい状況にいるわけですが、和魂洋才で、アジアの一員として、アジアの気候、あるいは、アジアのメンタリティに基づく建築というのをつくり続けているということが欧米の人たちを驚かしたわけです。ビエンナーレでそのあたりに自覚的になり、またより自信を深めた人もいると思いますが、そのへんをこれからも伸ばしていってほしいと思いますね。
――最後に、展覧会カタログについて一言お願いします。
山名 「en」展のカタログは常山未央さんの「不動前ハウス」の模型の正面に設置された木の壁に12冊展示しました。会場でも話題になって、欧米だけでなくアジアの人たちからも注目されました。日本パビリオンは審査員特別賞を受賞しましたが、この受賞にはカタログの存在もあったのではないかと言う人もいます。展覧会とあいまってひとつの議論が生まれつつあるのではないか、そのようにも感じています。いま、帰国展がギャラリー間で開かれていますが、展覧会ととともにこのカタログにも注目していただければと思います。
会場に並べられた展覧会カタログ。12冊置かれ、オレンジ色の紙がはさまれたところを開くと12作家のそれぞれの頁を見ることができた
内野正樹 Masaki Uchino
1960年静岡県生まれ。雑誌『建築文化』で、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエら巨匠の全冊特集を企画・編集するほか、映画や思想、美術等、他ジャンルと建築との接点を探る特集も手がける。同誌編集長を経て、『DETAIL JAPAN』を創刊。現在、ecrimageを主宰。著書に『一流建築家のデザインとその現場』『表参道を歩いてわかる現代建築』(以上、共著)『パリ建築散歩』『大人の「ローマ散歩」』がある。
シリーズアーカイブ
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今回は、2016 年のビエンナーレでキュレーターをつとめた東京理科大学の山名善之教授へのインタビューです。
日本パビリオン の会場となった吉阪隆正設計による建物のトピックや、ビエンナーレという場で、世界に向けて発信してみた感想、また、ビエンナーレという世界的な舞台でデビューした参加作家の人たちへの今後の期待などお話をうかがいました。
ついにシリーズ最終回です。前々回(第3回)に続いて、ヴェネチア・ビエンナーレの参加作家が登場。
「403 architecture [dajiba]」と「ドットアークテクツ」の2組に話を伺いました。