もっとつながろう、もっと楽しもうユニバーサルデザインStory
未来へ歩むヒト・モノ・コトを紹介するコラムです。
未来へ歩むヒト・モノ・コトを紹介するコラムです。
2025年、65歳以上の高齢者のうち5人に1人が認知症になる――これは、平成29年度高齢者白書に記載された推計です。決して他人事ではない認知症。でも、まだまだ理解されていないのが現状ではないでしょうか。2021年に『認知症世界の歩き方 認知症のある人の頭の中をのぞいてみたら?』(ライツ社)を出版された筧裕介さんに、認知症と診断されたときの対応や水まわりに関する工夫、いま社会に求められている変化について伺いました。
著書にある不思議な言葉、「ホワイトアウト渓谷」に「七変化温泉」、「服ノ袖トンネル」、「サッカク砂漠」……トイレやお風呂でのトラブルにつながる原因を知る
筧裕介さん(以下、筧)
筧さんが認知症に関する著書を執筆された背景を教えてください。
「認知症の方が増えている一方で、社会はそれに対応できていない」という問題意識を持っていて、本書を執筆する前に、さまざまな企業に対し認知症の方が生活しやすい社会づくりのためのデザインや商品開発、空間開発を提案してきました。認知症のある方は2025年には700万人、2030年には1000万人になると言われているので、企業もそこに市場があると捉えてくれるだろうと思ったのです。
しかし、実際はまったく関心を持ってもらえませんでした。おそらく、認知症に対して「何もできなくなる/理解不能な行動をする」というステレオタイプの印象が強く、サービスを提供する対象として見ることができなかったのでしょう。そこで、社会やインフラを変えようとする前に、まず私は市民側にアプローチすることにしました。市民の認知症に対する理解や関心が広がることで、企業や行政も動いてくれるだろうという狙いです。こうした背景から生まれたのが『認知症世界の歩き方』です。
筧さんは著書中で、認知症で引き起こされる状況を自然環境になぞらえ、「ホワイトアウト渓谷」、「七変化温泉」、「服ノ袖トンネル」、「サッカク砂漠」といったユニークな言葉で表現しています。公式サイトはこちら
著書では、認知症を「認知機能が働きにくくなったために、生活上の問題が生じ、暮らしづらくなっている状態」と定義していますね。トイレやお風呂などの水まわりではどういった状況が考えられますか?
「認知症になってから、トイレを失敗するようになった」という話をよく聞きます。原因はいくつも考えられますが、(五感のトラブルを表す私なりの造語を使うと)たとえば目に見えないものを頭の中で想像できない「ホワイトアウト渓谷」もそのひとつでしょう。扉が閉まっていると、向こう側にトイレがあることをイメージできないのです。また、身体の感覚が変わってしまう「七変化温泉」も原因として考えられます。尿意や便意をなかなか感じられず、間に合わなくて失敗してしまうのですね。
自分の身体の位置や動きを適切に認識できない「服ノ袖トンネル」によってうまく下着を下ろせなかったり、細かい色の差異を識別できない「サッカク砂漠」によって壁や床とトイレの便座の見分けがつかなかったり、ということもあると思います。
トイレに間に合わない理由は「空間」「記憶」「身体感覚」「視覚」といった複数の壁が関わっています(図版提供/issue+design)
サインを変える、便座カバーをつける、アラームを設定する……原因を知れば、対策が見えてくる
そうした状況に、どのように対応すればいいのでしょうか。周囲の家族などはあきらめなくてはいけないのでしょうか?
症状や原因には個人差があるので、その人がなぜトイレやお風呂に苦労しているかを見極めることが大切だと思います。そのうえで、具体的な対策を考えていく。
たとえば、ドアの向こうを想像しにくい「ホワイトアウト渓谷」が原因なら、トイレの扉を大きく開けておくだけで解決したりします。また、サインを変えることも有効ですね。ご自宅でも、トイレの前にサインを設置するといいでしょう。認知症の方は視野が狭くなりがちなので、360度どこからでもサインが見えるようにするといいと思います。文字を認識することが難しくなる方もいれば、ビジュアルを認識することが難しくなる方もいるので、公共空間では文字とビジュアルの両方を記載するのが望ましいですね。
尿意・便意を感じにくい「七変化温泉」に対しては、一定時間ごとにアラームを設定してトイレに行くようにする、といった対処も考えられます。「サッカク砂漠」に迷い込んでいる人の場合、周囲と異なる色の便座カバーをつけたりするだけで床と便座の区別がつくようになるという話も聞きます。お風呂の場合も考え方は同じです。環境を整えるだけで解決できることはたくさんあるのです。
「便座を周囲の白い壁面やトイレタンクなどと異なる、赤などの色調にすると便座を視認しやすくなるケースもあります」と筧さん。左は便座カバー装着前、右は便座カバー装着後(写真提供/TOTO)
水まわり空間での配慮例
自立重視配慮の視点 | |
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トイレ空間 |
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浴室空間 |
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洗面所空間 |
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どのようにして本人に合った対策を見つけ出すのでしょうか?
前提として、「認知症になるとどんなことが起こりうるのか」を把握しておくことは必要だと思います。基本的な知識や理解があれば、トラブルがあったときになんとなく原因がわかるはずです。
私たちがお話を聞いた方の中に、昔は几帳面で服もきちんと棚に分類してしまっていたのに、認知症が進行してからは全部外に出しっぱなしにするようになったという方がいました。また、夜にトイレの場所がわからなくなって失敗することも増えてきたそうです。どちらも原因は同じで、棚の中や扉の向こうが想像できなくなっていたのです。この方のエピソードから、「ホワイトアウト渓谷」というアイデアが生まれました。
出来事を俯瞰して見ていくと、「脳内ではきっとこういうことが起きているのだろう」「だったら、こういうトラブルもあるかもしれない」と推測できるもの。そうすれば、ご本人に合った対策も思いつくのではないでしょうか。
認知症当事者から、「失敗する権利」を取り上げない
「認知症になると、地域社会の中で生活していくのは難しい」というイメージを持っている人も多いと思いますが、工夫すれば住み慣れた自宅や地域で生活していくことは可能なのでしょうか?
そう思います。生活が難しくなる理由の大半は、実は社会や環境によってつくられているんですよ。たとえば、山あいなどで一人暮らしをしている高齢者は、認知機能がかなり損なわれていても、普通に生活できていたりします。農業をして、顔見知りのお店で買物をしているといった(シンプルな)状況なら、とくに困ることがないのですね。
一方、都市部で暮らしていくには、高度な認知機能が必要です。周囲が適切にサポートしてくれればいいけれど、ちょっと鍋を焦がすと「危ないからもう料理をしないで」、迷子になると「もう1人で外出しないで」と、まだできることを禁止されてしまうことも多い。
興味深いのが、一人暮らしの方よりも、家族と暮らしている方のほうが症状が早く進行する傾向があること。一人暮らしだと多少失敗しても自分のことは自分でやるので認知機能が維持されますが、同居していると家族からちょっとずついろいろなものを取り上げられて、どんどん認知機能が落ちていく悪循環にはまってしまう。認知症当事者からはよく、「失敗する権利を取り上げないでほしい」という言葉を聞きます。
「何もできなくなってしまった」と簡単に決めつけず、どうすればできるかを考えて環境を整えていくことが大事だと考えています。
ただ、ご家族が「重大な事故につながったらどうしよう」と心配される気持ちもわかります。たとえば認知症の方が鍋を焦がしてしまった場合、どういった対応が考えられるでしょうか?
もちろん、命に関わる失敗は気をつけなければいけませんし、安全確保は大切です。でも、料理を取り上げる前に、調理機材を変えることで解決できるかもしれません。たとえばキッチンのコンロを自動消火装置のついたものに変えれば、取り返しのつかない事故は防げますよね。
ただ、慣れていない電化製品は使えない可能性があります。とくに、家族が「これは操作が簡単そうだ」と選んだものが使えないというケースをよく聞きます。そこでおすすめしたいのが、本人と一緒に買いに行くこと。本人が複数の商品の中から「こうやって使うんだな」と考えて選んだものは、使い方を忘れにくいのです。モノとの関係性があることが大事なのですね。
認知症が進行する前に使い方に慣れる
早めにリフォームする
認知症が進むと、新しい環境や使い方になじめないことがあります。早めのリフォームで機器の使い方に慣れるように配慮します。
Before
今までは和式トイレを使用していたけれど、便利な洋式トイレに取り替えました。
After
洋式トイレを「トイレ」と認識できず、失禁するようになってしまいました。新しい機器の使い方に慣れることができるよう、早めにリフォームしておきましょう。
自立して使い続けられるようにする
習慣を継続する
身体で覚えている環境は、認知症が進んでからも生活しやすい環境といえます。これまでの習慣が継続できるように配慮します。
Before
温水洗浄便座のリモコンに手をついて立ち上がるため、背中を濡らしてしまいました。
After
手すりを付けることで普段の立ち上がり動作ができるようになり、リモコンに手をつかなくなりました。
今できることを活用する
認知症により段差が認識できず、転倒につながる場合があります。安全に動作できる環境を整えることで、自立して水まわりを使い続けられるようにします。
Before
浴室への出入りやドア開閉の時、一人では転倒してしまうため介助が必要でした。
After
浴室ドアの横に手すりを付け転倒対策をすることで、介助せずに出入りできるようになりました。
認知症の方は慣れていることであればこなしやすいので、住まいに関しては進行前にリフォームしたり、できることを生かして使いやすく手を加えたりするなどの対策も有効
(出典:TOTO「バリアフリーブック 住まいの水まわり編 No.83」P14)
認知症になったことを周囲に打ち明けられる社会に
自分自身に認知症の兆候が見られたときは、まず何をすればいいでしょうか?
本人は初期の段階で自分自身の認知機能に何かしらの問題が生じていると気づくものです。そのときすぐに周囲に相談したり、病院に行ったりして、認知症があっても暮らしやすい環境を整えていくことが大切です。ただ、現在は認知症に対する理解が十分に広まっていないので、「おかしな行動を取る人」というレッテルを貼られてしまうことを恐れてなかなか言い出せない、というケースも少なくありません。
先日、認知症の方から「診断を受けてネットで検索したら怖い話しか載っていなくて落ち込んだ、でも『認知症世界の歩き方』に出会って、自分に何が起きているのかがわかって安心した」とお礼を言われました。その方の奥様も、「どうしてそんな行動を取るのかがわからなくてつい怒ってしまっていたけれど、背景がよくわかったので、これからは優しく対応できると思う」とおっしゃっていました。知ることが(理解への)第一歩になるのですね。
TOTOに向けて、どのようなご期待がありますか?
「認知症のある方が実際に見ている世界」を、スケッチと旅行記の形式で、ユーモアを交えながら紹介する本。「自分のしたことを忘れてしまうのは、なぜ?」「大好きだったお風呂を嫌がるのは、なぜ?」「コンロの火を消し忘れてしまうのは、なぜ?」など、認知症当事者へのヒアリングを通して、認知症にまつわるさまざまな疑問に答えています。
編集後記「認知症」のある方々の予想外の行動を目にすると、ただただ驚いたり、治療方法はないのだろうかと考えあぐねる場合が多いのではないでしょうか? しかし、なぜそういった行動を取るのか理由を知ることで、そばにいる家族は合点がいくとともに一緒に暮らし続ける方策を検討し工夫できるのですね。課題になりがちなトイレやお風呂の利用にも解決策が見出せそうです。当事者の挑戦し続ける姿勢を見守り、ともに穏やかに過ごす時間を延ばしていきたいものです。編集者 介川 亜紀
取材・文/飛田恵美子、構成/介川亜紀 2023年1月20日掲載
※『ユニバーサルデザインStory』の記事内容は、掲載時点での情報です。