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未来へ歩むヒト・モノ・コトを紹介するコラムです。
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「ノーリフティングケア」を知っていますか? これは、介護の場面などで、福祉用具を活用した「人力で持ち上げない/抱え上げない/引きずらないケア」のこと。介助する側・される側双方の心身に負担のかからないケアとして、近年注目を集めています。高知県では2016年に「
介助者の腰痛や、介助時の事故・二次障害を防止する
下元佳子さん(以下、下元)
はじめに、ノーリフティングケアのメリットを教えていただけますか?
ノーリフティングとは労働安全の取り組みそのもの。ノーリフティングケアとは、抱えない・持ち上げないケアのことで、専用のリフトなどを使って介助を行うこと。まず、介助する側の負担を減らし、身体を守るというメリットがあります。疲労感も減るし、腰痛予防にもなりますね。力やテクニック、経験がない介助者でも道具の使い方と手順さえ覚えれば簡単にできるので、人手不足の施設などやご家庭でも有効です。
介助する側だけでなく、介助される側にとってもメリットがあります。人の力に頼った「力任せ」のケアはその強い・速い外的刺激で介助される側の身体が緊張し、拘縮につながります。せっかくリハビリで身体をゆるめたのに、ケアで硬くなってしまっては意味がありません。介護用リフトは人の腕よりも広い面積で支えてくれるので安定しますし、緊張をほぐしてリラックスさせる効果があります。オーストラリアでは、立つことや歩くことなどいろいろな場面で、患者にも職員にも痛みや負担を引き起こさないように、リハビリにもリフトを取り入れているほどです。
また、力を使ってベッドから車いすに移乗させたりトイレやお風呂に連れて行ったりすると、介助者がどんなに気をつけていても強い力がかかって痣になってしまったり、どこかにぶつけてしまったりすることがあります。高齢になると皮膚が脆くなるので、少し掴んだだけで皮膚剥離が起きることも。そうした事故を防ぐという側面も持ち合わせます。
キャスター付きの床走行式リフトとスリングシートを使って、利用者をベッドから車いすへ移す様子。リフトの脚がベッドの下に入れられ、介助者1人でもアームを適切な位置に動かし難なく移乗をサポートできます。利用者はハンモックに乗っているようでリラックスできるそう(ノーリフティングケアを導入した特別養護老人ホーム「ウェルプラザ高知」にて撮影)
下元さんがノーリフティングケアに取り組むことになったきっかけを教えてください。
「理学療法士として、患者さんの身体の状態を悪くする力任せの介護はしたくない」という思いから、以前より福祉用具ケアに関心を持って普及活動を行っていたものの、なかなか普及しませんでした。2008年に、現在の日本ノーリフト協会代表理事の保田淳子さんからオーストラリアの話を聞き、現地の彼女を訪ねた後、視察してきました。オーストラリアでは1998年頃からノーリフティングケアが推進されていて、私が行ったときはどの施設にもリフトがあり、日本のように身体がかちかちに固まっているようなご利用者さんは見当たりませんでした。介助する側にもされる側にもゆとりがあり、雰囲気もとても良かったんです。
「どうやって10年でここまで浸透したのか、どうすれば介護リフトの導入が進むのか」と現場の看護師や理学療法士に質問したところ、意外にも「リスクマネジメントとして取り組めばいいのよ」と言われ、施設のリスクマネジメントや介助する側の腰痛予防といった視点も重要であることに初めて気づきました。そこでより関心が強まったのですが、本腰を入れたのは高知県がノーリフティングケアに取り組むようになってからですね。
介護人材確保のため、表面的なイメージアップではなく労働環境の改善に取り組む
高知県はどういった背景からノーリフティングケアを導入したのでしょうか。
介護人材の確保と定着促進のためです。日本全国で介護人材不足は深刻で、各県に対策チームがつくられかなりの予算がついているものの、よく行われているのは介護職の魅力を発信する動画をつくることやイベントを開催すること。でも、どんなにイメージを良くしようとしても、実際に施設に行ったときにスタッフが疲れた表情をしていて、ご利用者さんが車いすに傾いた姿勢で座らされているのを見たら説得力がありませんよね。魅力発信として伝えていることと、現場のギャップに悩んでいた県の人材対策チームの方にオーストラリアの写真を見せたところ、スタッフもご利用者さんも明るく元気そうなのでとても驚いていました。それで、「イメージアップではなく、実際の現場を良くしていくことにお金と時間をかけよう」と、ノーリフティングケアを広める運びになりました。
具体的にはどんな取り組みを行ってきたのでしょうか。
福祉用具導入などの環境整備にかかる補助金や先進モデル施設の創出、人材育成などを行い、県内にノーリフティングケアを浸透させていきました。ただ、最初に福祉業界向けに説明会を開いたときはかなり反発もありましたね。「こんなものにお金をかけても結果は出ない、税金の無駄遣いだ」とか、「自立支援が重視される時代に本人の身体機能を奪うようなリフトを使うのか」とか。そういった声に対しひとつひとつ説明をしていったのですが、3年後に高知県がノーリフティングケア宣言を出した頃には、反対していた方々も「もっと推進していくべきだ」という意見に変わっていました(笑)。
さまざまな福祉用具が置かれたナチュラルハートフルケアネットワークの事務所
ノーリフティングケア宣言のパンフレットとマネジメントマニュアル
「2013年に国が『人力での抱え上げは、原則行わせない。リフトなど福祉機器の活用を促す』と腰痛予防指針を示していますが、現場への浸透はまだまだです」と下元さん
なぜ、たった3年で高知県はそこまで変わったのでしょうか。
導入したモデル施設で大きな成果が出たからです。スタッフの腰痛や疲労感が減り、ご利用者さんの笑顔が増え、それによってまたスタッフのモチベーションが上がって……。NHKなどのメディアが客観的な視点から報道してくれて、信頼度が高まったのも追い風になったのだと思います。ノーリフティングケアをいち早く導入した特別養護老人ホーム、ウェルプラザ高知の施設長さんによれば、2019年から職員に実施している腰痛アンケートで、当初、腰痛保有者の割合が51%(腰痛がよくある17%、時々ある34%)だったのが、2021年には38%(よくある9%、時々ある29%)に減少したそうです。
人材確保という面でも、ノーリフティングケアを取り入れていない施設は常に求人広告を出している一方で、取り入れている施設は辞める人がいないので新規採用の機会が少なかったり、求人を出してもすぐに応募がある状況になっています。人材確保の広告費用はいらず、派遣会社も使わずに済むので、コスト削減にもつながっているようです。ノーリフティングケアのさまざまなメリットが目に見えて現れているので、説得力があるのではないでしょうか。
全国にも広がっていくといいですね。
介護人材不足は今後ますます深刻になると言われていて、施設の人員配置基準の緩和も検討されています。つまり、今までより少ない人数でケアを提供することになります。このままでは、おむつ交換や入浴の回数など、命に関わらない部分を減らす現場が出てくるのではないでしょうか。想像するだけで恐ろしいですね。人材不足の対策として、ICTや介護ロボット導入による業務の効率化が求められていますが、高知県では、ノーリフティングケアを含めながら進めて成果を上げています。全国でもぜひ取り組んでいただきたいと思います。
据置式レール型リフトとスライディングシート。滑りの良い大型のシートで身体を持ち上げ、清拭介助や褥瘡予防の寝返り介助を行います。引きずりによる摩擦が起こりにくく、スムーズに利用者の体勢を変えられます
ノーリフティングケアのデメリットや、導入を検討している施設から懸念されるようなことはありますか?
リフトなど福祉用具の導入に、最初はお金がかかることでしょうか。でも、導入の費用対効果は高いですよ。2人、3人がかりで移乗させていたのが1人でできるようになったら、かなり業務効率は上がりますよね。また、腰痛や蓄積する疲労、意図せずご利用者さんの身体を傷つけてしまったときの罪悪感などからスタッフが休職・離職したら、新たに人を雇って育成する費用がかかります。そうしたことまで含めて計算すれば、決して高いとは言えません。
「いちいちリフトに乗せるより人の手で抱えたほうが早い」と言われることもあります。確かにその一瞬だけは早いかもしれませんが、2人がかりだったら2倍時間を取られるわけですし、作業する人が揃うのを待つ時間はロスになります。1人で抱えられるような場合でも頻回に実施することで、気づかないうちに疲労が蓄積してパフォーマンスが落ちがちです。導入した施設にアンケートを取ると、「導入した当初は大変だったけれど、慣れたいまでは逆に時間のゆとりを感じる」と言われますね。
水まわりにおけるノーリフティングケアの活用方法と課題
トイレでもノーリフティングケアは有効でしょうか?
はい。ある施設では、朝食後にスタンディングリフトでトイレに行く時間を設けているのですが、便座に座った状態でリフトが身体を支えてくれるので、スタッフがずっとそばについて見守る必要がありません。そうすると、気兼ねせず十分な時間を取れるので、ご利用者さんはちゃんとトイレでひとりで排せつできるようになるんですね。より良い姿勢で座ることができるので、残尿、残便も減ります。足に荷重をかけて身体を伸ばすので座位姿勢もよくなってきます。ノーリフティングケアを取り入れている施設では、取り入れていない施設に比べて、ベッド上でおむつを取り替える割合が圧倒的に少ないという統計も出ているんですよ。
スタンディングリフトでトイレ内部まで移動し、介助者が下着を下ろした後、リモコンを操作して利用者を便座に座らせます
また、ご自宅での介助もとてもラクです。立つ力がほぼない人を介助者1人で抱え上げて下着を下ろすのはかなり難しく、かと言って2人入れるほどのスペースのトイレはそう多くありません。でも、スタンディングリフトに乗ってもらえば、そのままトイレに入り、介助者が下着を下ろせば後はボタンを押すだけで便座に座らせることができるのです。
家庭の狭いトイレでも、スタンディングリフトさえ入れば介助者の負担を低減できます。便器前まで利用者を移動させた後、介助者はトイレ入口付近で操作
入浴はいかがでしょうか?
お風呂では浴槽に入れるときの高低差が介助者の腰に大きな負荷をかけるので、リフトは非常に有効です。介助される側も濡れた状態で裸のまま人にガシッと抱えられるより、スリングシートなどの布で支えてもらったほうが抵抗感が少ないのではないでしょうか。自分が介助される側であれば、後者のほうを望みます。
在宅介護の場合は、浴室内に柱を立てるものや、柱と梁を備えたやぐらを組むタイプのリフトを設置します。そうすると、全介助の方でも脱衣室から洗い場、浴槽までまったく人が抱えることなく移動できるんですよ。リフトを導入した方には、「家族に負担をかけたくなくて自宅ではシャワーで済ませていた。デイサービスではなく、住み慣れたわが家のお風呂でゆっくりお湯に浸かれるようになって嬉しい」などと喜ばれますね。
在宅介護でのリフト使用の課題はありますか?
ご家族の方から「ちゃんと扱えるか不安」といった声もありますが、リモコン操作は「上げる」「下げる」だけですし、スリングシートなどの吊具の着脱も覚えてしまえばおむつ交換より簡単です。
「うちは狭いから」と心配される方も少なくありませんが、リフトにはさまざまなタイプが用意されていて、ベッドの下に敷き込むタイプや前述のやぐらを組むタイプでしたらあまり場所を取らないのでまずはご検討いただければと思います。「ベッドサイドに介助者が2人入るスペースがないからリフトを入れる」というケースもあるくらいです。ただ、昔ながらの家は段差が多かったり間口が狭かったりするので、スタンディングリフトでの移動は難しい場合があります。いずれにおいても移乗動作のみで判断するのではなく、乗り移ったその後に、何でどのように移動するかなど、行動全体、生活様式全体を考えて決めることが大切です。
なお、高齢者はリフトの導入・レンタルに介護保険制度が利用できます。障がい者については制度はありますが、自治体によって差があったり、自己負担金が大きいのが課題と言えますね。
ノーリフティングケアには、自立支援の側面もある
ノーリフティングケアを導入する際に「本人の身体の機能を奪うのではないか」という反対の声が上がったというお話がありました。この点についてはどうお考えですか?
その反対で、ノーリフティングケアはご利用者さんの自立につながると感じています。たとえば、スタンディングリフトは、膝を前方で固定し、背中を伸ばしてくれます。膝から下にしっかりと体重がかかるのでいいリハビリになり、毎日使っているうちにリフトなしで立てるようになったという例は少なくありません。スタンディングリフトにも吊り上げるリフトにも身体を緩め姿勢をよくする作用もありますし、職員の負担が少なく、質的にも量的にも良い立位や歩行が可能になるため、回復期の病院などではリハビリに積極的にリフトを使うようになってきています。
自立できない人を支えて移動させるスタンディングリフト
実は、初めてオーストラリアに行ったときは、リハビリを担当する職員の方が「ケアの現場はノーリフティングケアが主流になっているけれど、私たちは抱え上げてばかりだ」とこぼしていたのです。それが、2020年に訪問したときはリハビリ室にもリフトが導入されていました。リフトがご利用者さんの体重を支えてくれるから理学療法士は骨盤のコントロールや身体の使い方の調整に専念できる。ご利用者さんも腰や膝に痛みを感じにくく、数多くリハビリできるので退院が早くなったそうです。日本でも早くそうなるといいですね。
「組織が責任を持って、介護の環境を変えていくことが大切ですね」
今後、日本の福祉や水まわり空間はどういった方向をめざすべきでしょうか?
自分が望んだときにトイレやお風呂に入れて、ベッドから起き上がったり外出したりできること。それが多くの人が考える「あたりまえの暮らし」ではないでしょうか。これまでは人の手を借りてできていたことが、人材不足によってできなくなる可能性があります。そうなる前に環境を整えなければいけません。「介護スタッフが足りないから排せつしたいタイミングでトイレに行けない」「ヘルパーさんが来てくれないからお風呂に入れない」とならないように、福祉用具で補う。そうした発想の転換が必要だと思います。介助する側の心身を守り、介助される側のQOLを高められるノーリフティングケアを、全国に広めていきたいですね。
2022年10月5日 ~ 7日、TOTOは東京ビッグサイト(江東区)で開催される国際福祉機器展 H.C.R.2022に出展いたします。今年のテーマは「ふれあいの、新しいかたち」。先立って公開中のTOTO特設サイトで最新情報を入手して効率的に“リアル”展の会場をご覧ください。
また、会期中の10月6日(木)12:30~13:30には、同会場の東1ホール(会場A)にて、理学療法士であり株式会社くますま代表取締役の河添竜志郎氏による出展社プレゼンテーション、「コロナ禍の中で高齢者の行動と意識はどう変わったか」を開催いたします。こちらもお見逃しなく。
第49回 国際福祉機器展のリアル展会期中の2022年10月6日に行った出展社プレゼンテーションをアーカイブ配信しております。河添先生にコロナ禍の中での高齢者の行動や意識の変化についてお話いただきました。見逃した方、もう一度聞きたい方、ぜひご覧ください。
『コロナ禍の中で高齢者の行動や意識はどう変わったか』
●心身の機能低下や交流の減少により、家の中の衛生環境はどう変化したか?
●高齢者が安全・安心、快適に長く家で暮らす為の水まわりの工夫とは?
編集後記介助する側、される側双方の負担を軽くするために、有効な「ノーリフティングケア」。長寿化により思いのほか長くなりつつある介護の中で、誰もが快適な毎日を維持するために、まずどこに大きく切り込んだらいいのか。今回の取材でその答えのひとつを目の当たりにしたように思います。施設はもとより家庭にもこの考え方がいち早く拡散され取り入れられるためには、あらためて国、自治体を含む社会全体に“介護のあるべき姿”についての意識改革も必要ですね。編集者 介川 亜紀
写真/鈴木愛子(特記以外)、取材・文/飛田恵美子、構成/介川亜紀 2022年10月3日掲載
※『ユニバーサルデザインStory』の記事内容は、掲載時点での情報です。