特集4/コラム

語録/七 障子も竹も“ジャパン”

 障子を使おうと思ったことはないし、竹を使うときも、縄で巻いたりして隠し、表現の表には出さない。あくまで縁の下の力持ち。理由はまことに明白で、障子の桝目(というかどうか知らないが)の一つひとつに、竹の一節一節に、“ジャパン” “ジャパン”と書いてあるからだ。人は、障子や竹を見ると、そのデザインや材料の質ではなく、その記号性のほうに先に反応し、そこで判断を停止してしまう。私は、素材主義とでもいうべき立場だから、素材の材感より、その文化的国籍や伝統が先立つのは困る。土も木も竹も石も草も、自然由来の建築材料は、国や文化の枠の出現よりずっと先に出現し、後から国や文化やそれぞれの伝統が便乗したにすぎない。自然素材は鉄やガラスやコンクリートと同じくインターナショナルなのだ。

語録/八 何に似ても許されない建築

 45歳で初めて設計を手がけることになったときの困難のひとつは、過去のどの国のどの時代のスタイルにも似てはいけないし、それより何より、現代の誰の作風も感じさせてはならないことだった。過去に少しでも似れば、“やっぱりおまえは歴史家だナ”と言われるし、現在の誰を感じさせても“いろいろ言ってもつくらせりゃこれか”と、日頃書いている文まで軽く見られる。あれこれ悩んだ果てに、誰が何を言おうとかまわない、自分で本当につくりたい建物をつくればいいと腹を決め、そしてできたのが神長官守矢史料館だが、できてみると、幸いどこの誰にも似ていない。こう書きながら思うのだが、古今東西どこの誰の形にも似てはならないという形の四面楚歌のなかで、材料、それも現代建築ではあまり使われない自然材料に突破口を見出したのかもしれない。

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