特集4/コラム

藤森語録 トラウマか、執着か

語録/一 土こそ究極

 究極の建築材料とは何か? という問いが私にはずっとある。鉄やコンクリートといった工業材料でないのは当然だが、木、土、石、草、竹などなどの自然由来の材料のうち、どれが人間にとって根本的な建材なのか。長いあいだ、木だと思っていた。そう重くないし、誰でも手で扱えるし、そもそも木の成育する森は人類の出所でもある。原始人の住まいは、たいてい木の枝や草でできているし。でも今は、土こそ究極と考え直している。子どもの手でも扱えるし、水と合体して初めて形を成すという性質もなかなか含蓄は深い。土と水と手。それより何より、手で土を扱っていると、みな作業に没頭して無口になる。土は、人の意識を吸収するというとんでもない能力を秘めているらしい。没頭とは、土に脳みそが没してしまうこと。

語録/二 建築の外観の起源は柱

 デビュー作となる「神長官守矢史料館」(1991)を設計しているとき、全体の形は決まったものの、流れ下る屋根の軒先がなんだか物足りなく思い、あれこれやっているうち、鉛筆がすべり、軒を支える支柱の先が軒の水平線から飛び出してしまった。あっこれだ、と思い、柱を屋根を破って突き出させた。これが、突き出す柱や塔状の形への根深い好みを自覚した最初で、以後、世界中のスタンディング・ストーンやウッドを訪ね歩くことになる。その後、あれこれ思索は深まり、柱立ては古代の太陽信仰の産物であったこと、そしてそれが建築というものの外観の起源であること、を認識しているが、なぜ私がそうした形に魅せられるのか、についてはどうもはっきりしない。気づいたときには自分の中にすでにあったもの、そう説明するしかない。

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