第3作の「ニラハウス」(97)をつくったとき、赤瀬川原平筋の友人知人を呼んで、プロのいやがる作業を手伝ってもらった。意外だったのは作業が終わってからのみなの反応で、“また呼んでほしい”だった。人は建設作業が好き、という建築界では一度も言われたことのない真理をこのときつかんだ。以来、私の設計には、必ず素人参加の部分が含まれるようになる。誰でもやれる仕事があり、どの仕事でも全体のなかでの位置がひと目でわかり、多勢が集まらないと完成しない。しかも、一つひとつしかつくれない。もうこれはほとんどお祭りに近い。祝祭性を秘めた現代の唯一の製造業にちがいない。ここにこそ、建設という領分の、21世紀における重要性があるのではないか、と思うのだが、このことを知るのは、私の建築を手伝う素人集団の縄文建築団だけ。
世間の人はむろん建築家でも、住宅は風雨風雪から人を守るために成立したと考えている。私も長いことそう思ってきた。でも、今は違う。住宅は、人ではなく火を風雨風雪から守るために成立したのだ。住宅の核となるのは火だった。野原でも森のなかでも、火を焚き、その火のまわりに人が集まり、そこに生まれた身は暖かく心も温かい場と人間関係こそが、住まいの起源にちがいない。住宅という人工物は、そうした場と人間関係を生み出してくれた火を消さないよう、後から取り付けられたカバーなのである。茶室が建築の基本的単位と私が見なす理由のひとつは、あれほど小さくても、ちゃんと炉が切られ、中に火が投じられているからだ。よって、住宅には火が、可能ならガスでも炭でもなく、木を燃やす生火がほしい。焚き木から上がる炎くらい見飽きないものはない。