特集3/座談会

分業としてやろう

―― 協同設計の形を発見したことで建築家・藤森照信は生まれたともいえると思うのですが、ほかのいわゆる協同設計とはずいぶん違う仕事の進め方をされていると感じています。実際はどうでしょうか。
大嶋 今の協同設計のスタイルができる元というのは、内田さんですよね。
内田 さっきも言いましたが、最初は、ちょっとこれはなあというスケッチが出てくる。その後これなら建ちそうだなあというスケッチが来て、実施図も描けるかなと思うんです。失礼な言い方ですが、私が建築として考えられるという意味です。「実務的にこれならなんとかなるんじゃないでしょうか」と言った記憶があります。で、一生懸命、図面を描いていくんですけれど、明らかに私が自分でやるときとは違うものなんですよ。それはまちがいない。だから、デザインについては藤森先生には何も言わない。つまり、分業としてやろうと思ったんです。藤森さんがデザインされて、それを僕が受け入れられなければどうしようもないんだけれど、あまり一体化するとか、批判するとかという姿勢ではなくて、どうやれば建つか、というふうに考える。
 おそらくヨーロッパのエンジニアリングの事務所のありようだと思います。ただ当時は、まだ、ストラクチャーがまったく見えなくなるということについては抵抗がありました。だから「神長官」も、「秋野不矩」も木造部分の構造は本物が見えているんです。誰も本物の柱梁だと思わないんですけれどね。それが全部見えなくなるのが、「ねむの木こども美術館(※5)」(以下「ねむの木」)です。
ねむの木」で、木造は、柱を除いては完全に見えなくなって、ああこれは技術だったんだと思ったんです。それまではね、僕がやると構造が表に出てくるんです。
 デザインに対してできないのではなくて、技術的方向性で僕にはできないという線があります。そこはやらない。そういう話をしているうちに、藤森さんも「そこはおまえが言うならそれでいいだろう」と。さっきのトップライトもそうです。「秋野不矩」でついに開けるんですが(笑)。僕はやめたいわけです。まあ、あれでもトップライトは、ちょっとという思いはあるんだけれど、とにかくできるだけ、技術的にどうすればフォルムとテクスチャーが成立するか、そういう感じです。
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