特集3/座談会

―― それまではどんな仕事でしたか。
内田 住宅と公共建築でした。所内でひと通り教えていただいた後、現場に常駐するんですが、現場から帰ってくるといろいろなことがわかってくるんですね。
―― 藤森研に入ったときリノベーションをやりたいと言ったそうですね。
内田 建築を維持していくことを考えたいと思っていました。敗戦直後の廃墟から始まって、空いている土地に建物が建つ。それがやがて既存のものを壊して建て直す時代に入ってきた。壊して建てるとき、マンションに建て替えるなら拡大再生産だから市場原理でもできるけれど、単純再生産や縮小再生産のときには、どうするんだろうということを漠然と考えていました。だから修士のときに「建築の維持について」とテーマを設定しました。
  じつはそれまでは奈良を歩きまわっているようなタイプでもあったんです。そこから抜けられないのではとまわりが心配するぐらい。だから近現代は実務の対象でしかなかった。藤森先生のおかげで僕なりに見るという視点を獲得するわけですが、それはずっと後のことで、当時は、近代建築実務と、歴史的建造物や文化財に対する思いが混ざった状態で、調査に行くわけです。それで、大嶋さんがおっしゃったように、表しか見ていないのに、断面を描いていたりするんです。
―― その頃は、まさか藤森さんと一緒に建築を設計することになるとは思っていなかったんでしょうね。
内田 思っていません。当初、建築主の茅野市は、藤森先生に「相談にのってほしい」というぐらいの話だったと思います。それでどうしようかと言っているうちに……なにものかが降臨したんですよね、先生に(笑)。
  最初のはわけのわからないスケッチでした。下がキノコみたいな丸いもの(スケッチ1)。僕も一応、増沢事務所ですからね(笑)。モダニズムとか工業化とかいうものに一定の理解をもっているわけです。これを見てどうしようかと思いました。その後の案(スケッチ2・3)で、ちょっと屋根が前に出てきて、後ろが四角くなってきたときに「これなら、建つ」と。僕でも建つかなと。そう思っているうちに、一緒にやることになった。いつ、どういうきっかけだったかは具体的に思い出せないですけれど、気がつくとやることになっていました。
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