私は四角な建物をつくったことはない。陸屋根を使うときも、必ず目立つところに宝形や片流れの屋根を付ける。屋根をなぜ付けたがるのか、長らく自分でもわからなかったが、次第にわかってきた。まずひとつは、屋根の軒先を下へ下へと伸ばしていくと地面に至る。実際には至らなくとも、軒の下る勢いは、地面との親密さを感じさせるのだ。このことがひとつ。もうひとつは、韓国の古寺の瓦屋根の姿を丘の上から眺めて気づいたのだが、屋根の山形は、周囲の山々の光景と響きあっている(写真9枚目)。屋根は、その山形の頂部によって、建築と周囲の山々の光景のあいだの視覚的な断切をつくろい、その軒先によって大地とつないでみせる。建築設計を始めてこのかた、自然と人工物のあいだの深い溝をなんとかしたいと考えつづけてきた私としては、今のところ、屋根と自然素材にしか調停役は見出せない状態にある。ほかの手も見つけなければ。
20世紀建築の原点0(ゼロ)はグロピウスである。あの、文化的背景を何も感じさせない造形こそ、科学・技術の時代20世紀にふさわしい。建築史家としてそうしたグロピウスを絶対的に評価するが、しかし、建築家としては〝私のやることではない〟と考えている。そして、反グロピウスでも、脱グロピウスでもない方向が自分の進む道だと決めている。グロピウスのなしたことを深く理解し、にらみながら、しかし自分の関心が時間的にその反対の方向へと転がり落ちていくのを止めることができない。人類は青銅器時代に文字と文明と国家を獲得するが、それ以前の人類の心と造形と建築への関心である。建築史的にいうなら、ピラミッド以前への関心。幸い、世界の建築史家も建築家も、ピラミッド以前の石器時代を立脚点にした人はいないので、正確にいうと建築史家はまれにいるが建築家はいないので、ひとり原野をいくような気分である。