和子夫人と上の娘の未来さんが出してくれたお昼を楽しみながら、影響を受けた建築家について聞く。
 白井晟一、篠原一男、石井修。
 石井については、山から伐り出すような原材料への直接性を学んだというが、一番大きかったのは白井で、次が篠原だという。
 白井、篠原という日本の戦後建築界の猛毒を飲んでしまったのだ。よく死ななかったと思う。死なずに生き返るだけの造形的体力と体質に竹原は恵まれていたわけだが、ふつうこれだけの猛毒を飲んで生き返ると、化け物になるしかない。
 竹原は化け物か。今、こう書きながら、そのように思えるときもあるが、それ以上に、建築史家の目には深い興味が湧いてくる。白井が無意識のうちに提示したポストモダンの問題である。
 私は、日本のポストモダンの始点は白井と考える。モダニズムとは、建築を成り立たせる三要素たる物、技術、形の3つがバランスよく統合されていた状態をさし、その3つのバランスがくずれたり欠落が生じた状態をポストモダンとする。
 白井の建築は、物と形のふたつが野合し、両者をつなぐ技術を欠いていた。正確にいうと、物の存在感覚と形のおもしろさは存分にありながら、ふたつを結んでひとつにする技術感覚がなかった。それが、白井の建築の前例のない印象深さの秘密であり、ポストモダンの開幕を告げるファンファーレとなったのだ。篠原は、まず形、ついで技術とふたつはあったが、物の感覚に乏しかった。

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