その結果、空間が、日本の木造ならではの軽快さを失い、まるで石造のような重厚さを獲得する、というか陥るというか、誰だって困惑せざるをえまい。
使われているすべての木材は、柱も梁も床も框もこの調子で、太く、厚く、堅く、重く、そしてにぶく光っている。大量の南洋材のなかにわずかながら例外的に仲間入りを許されているのは国産の松材だが、銘木のヤニマツ(コエマツ)。
石材のごとき木の質感に追いうちをかけるのは、打放しコンクリートが梁や壁にも使われている点で、混構造となっている。
「混構造が好きで、建築全体での木の立米(りゅうべい)(体積)とコンクリートの立米は1対1です」
ついでにもうひとつ、
「床の面積と中庭の面積も1対1です」。
1対1にすると、やった気がするというか、気持ちが落ち着くのだという。
1対1の感覚。よくわからないが、竹原建築の根本に水の如くたたえられている造形感覚にちがいない。そういえば、柱による壁体も、平面として見れば柱と中間は1対1。
1対1感覚の立体はサイコロだが、竹原邸の外観のプロポーションも、縦長好きというより、大小いくつかのサイコロを積むと生まれるプロポーションなのかもしれない。
木とコンクリートの混構造は、“下層を打放し、上層を木造”のときのみ成功する、と私は長い建築探偵体験から思っている。同一層での混合は、吉村順三でも失敗する。それを竹原は好んでやるのだが、いくらなんでもやりすぎと思ったのは、西側の角の部分で、外から眺めると、そこだけ別の建物のように突起して見えた。