こうした一部は汪溢し一部は欠けたふたりから影響を受けてひとりの青年建築家がスタートすると、つまり、ポストモダンの二重奏からスタートするとどうなるかが、竹原建築を見るとわかる。
 メンデルの遺伝学にならって、白井の“物+形”と、篠原の“技術+形”を足すと、“物+技術+形2”となるのだが、どうも違う。なんといっても竹原は物の感覚が技術や形より勝る。あえていうなら、形が欠けている。“物2+技術”が一番正解に近いだろう。
 ひとつの完成した建築のスタイルが、新しいスタイルに生まれ変わるとき、一気に全体が変わるのではない。まず要素の一部の欠落とそれ故の一部の過剰が出現し、こうした欠落・過剰現象があらゆるパターンで起こり、混乱し、そうした混沌の時期をくぐってから初めて、それまでなかった新しい質が各要素のなかに生まれ、さらにそれらの新しい質をもった要素が統合化されて、新しい建築が生まれる。
 竹原の建築は、物と形が過剰で技術を欠いた白井晟一の後を継ぎ、物の過剰と形の欠落という独自のあり方によってポストモダン状態のひとつを体現している、と考えると、見えなかった入り口がなんとか見えてくるのではないか。

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