
- 藤本 そこらへんが僕が西沢さんと一番違うところですね。僕は最近、自分は骨格が見えるのがなんとなく嫌いなのではないかと思いはじめたんです(笑)。たとえば、僕の建物はほとんど柱が見えていないんですね。武蔵美の図書館も大空間だから、ほうっておけば柱が出てくるので、それが嫌で壁をぐるぐるまわしているんです。
- 西沢 そうですね。
- 藤森 藤本さんは「次世代モクバン」(final wooden house・08/*11)とか、木造をけっこうやっていますよね。
- 藤本 「次世代モクバン」はストラクチャーがそのまま見えているという形ですが、じつはあれは木片を積んだ後、ロッドで締め付けて、ありえないところでキャンチレバーで出っ張っている木があったりするので、ある意味ではピュアな構造ではないんです。
- 西沢 木を吊っているところもありましたね。
- 藤本 あれをやって、今の話をいろいろ聞いて、なんとなくわかってきたのは、僕は構造材が何かを支えているという感じが出るのが嫌なのかもしれません。空間を支えているのか、それ自体が迫り出してきているのか、よくわからないのが好きなのかなと。
- 藤森 骨が嫌なんですか。
- 藤本 そうですね。柱よりはまだ壁が好きなんですが、それは、柱はいかにも支えている感じだけれど、壁はそれ自体がかなり場をつくるから、建築に参加している感が出るので(笑)。もちろん、柱も場をつくるんですが、支える支えられる関係ではなく、全体が生成している感じが好きなんだと今気づきました。
だから、在来工法はけっこう好きですね。柱は壁の中に入って見えないけれど、場の骨格は決めるじゃないですか。しかも、ブレースなんかが入っていると、ああ、なんか場をつくっているなという感じがして。 - 藤森 あ、ブレースは好きなんですか。僕はブレースだけは嫌でね(笑)。逆に、柱の象徴性は僕にとってはものすごく大事なもので、柱は天に向かって立つものだという意識がある。
- 西沢 掘っ立て柱みたいな感じですか。
- 藤森 そうそう、僕の変な趣味(笑)。いや、僕は人類の趣味だと思っているんだけれど(笑)、古い人類の。
- 西沢 藤本さんが言う、支える支えられる関係はよくないというのはすごくよくわかりますね。
- 藤本 もちろん、大きな屋根が載っているから、何かが支えているにちがいないというのはしようがないんですが、支える部材として見えてくるのではなく、その場をつくるものたちだけでその空間ができていてほしいという感覚なんですよ。そこにジレンマがあることは自覚しています。
以前、フランク・ゲーリー(Frank Gehry/1929~)の建物を見たとき、自分では絶対やらないと思いますが、こっちは煉瓦張り、そっちは銅板張り、あっちはブルーにペイントされているというような空間があって、そこにある種のジャングルのような豊かさを感じたんです。そのとき、支えているとか支えていないに関係なく、場をつくっているものたちの集合体として、自分は建築をとらえているのかと思いましたね。




