特集5/エッセイ

 藤森さん自身、大工仕事をするのも、工事用の道具を工夫したりするのも好きだが、熟達したいという気持ちはなさそうだ。工夫しているとき、問題解決をするために何か考えているときが楽しい。
  設計の基本も、どうも遊んでいる(コンセプトとして遊びをとり入れるというのではなくて、やってるとついつい遊んでしまうのだ)。
  デビュー作、神長官守矢史料館(1991)では、史料保管室である2階へは、ハネ橋式のハシゴを引き出さないと上がれないようになっていた。
  赤瀬川原平邸(97)のニラ屋根は有名だけれども、設計者が最初にすすめた計画は「玄関をハネ橋式にする」のほうだった。まるで隠し砦か忍者屋敷だ。
  冗談じゃなく、藤森さんはガキの時分の、かくれ家とか陣地とか、砦とかをつくる気分で「住宅」の設計をしているらしい。
 高過庵(2003)が、世界中の人の注目をあびてしまったのは、このことと無関係ではないだろう。あれは、私の少年時代にとっても「理想の家」である。誰でもがそのことに、スグ気がつくからこその人気だと私は思う。
  そして、それは建築家の「コンセプト」というような代物じゃなく、もっと心の底からの、「やりたいこと」なのだ。
  藤森さんが、コドモ時分に「ガキ大将」であったかどうか、それは知らない。けれどもガキ大将をやりたいと昔から思っていて、今も思っていることはまちがいない。藤森さんが今楽しそうなのは、それがかなっているからだろう。

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