藤本壮介さんは、今年で46歳。
驚きに満ちた建築を、次々と生み出している。
その驚きはいつからだったか。印象深い初期作品のひとつは、まるで概念がそのまま出現したかのような「House N」。
竣工した2008年から10年近くたつが、時がたつほど、この住宅が概念ではなく、人の暮らしを包む現実であることを証明しつづけている。
作品 「House N」
設計 藤本壮介
聞き手・まとめ/大井隆弘
写真/川辺明伸
部分から生まれる秩序
大学卒業後、独立までどのように過ごされましたか。
藤本壮介私は、大学院にも進んでいませんし、設計事務所にも就職していません。在学中から建築家になりたいと考えていたのですが、どうしていいかわからず、考えているうちに卒業してしまったんです。卒業後は、借りていた小さなワンルームで、ひたすら建築について考える日々を過ごしました。独立のための浪人生のような生活といえばいいでしょうか。読書をしたり、アイデアを出したり。将来、設計の仕事をいただいたときに、進むべき方向を迷わないようにするための準備というか。
ただ、卒業から1年ほどたって北海道の実家にいったん戻りました。両親が心配して、知り合いの住宅の仕事があるから戻ってくればいいじゃないか、と言ってくれたんです。結局その住宅は実現しませんでしたが、父から病院関係の仕事をもらい、初めての実作ができました。それは、1996年に完成した「聖台病院作業療法棟」という作品で、独立というとこのときでしょうか。そして、この作品の完成を機にもう一度東京へ戻ることにしました。
その頃読んだ本で、影響を受けたものはありますか。
藤本一番影響を受けたのは『混沌からの秩序』(I・プリゴジン、I・スタンジェール著/みすず書房)という本だと思います。これは、ノーベル化学賞をとった物理化学者が書いた、その世界ではとても有名な本です。昔のことなので、細かい内容は忘れてしまいましたが、近代がもっていた「大きな秩序」に対して、部分と部分の関係から生じる「部分からの秩序」がありえる、というメッセージに衝撃を受けたことを覚えています。たとえば、一見無秩序に見える森の木々でも、互いに何かしらの秩序をもっている。しかし、それは誰かがやってきて配置を決めたものではないし、不確定さをもち、意外な展開も見せます。この本を読んで、そんな部分の関係から成り立っていて、秩序と不確定性、意外性が同居するような建築をつくりたいと思うようになりました。
それから、日本や西洋建築史の図集もよく見ていました。昔の日本の建物は、外側に縁側が巡って入れ子のようになっています。縁側が内外の中間的な役割を果たしていることはよく指摘されますね。民家なども土間が住宅の半分を占め、内部に外部のような空間をつくる。あるいは、パルテノン神殿などを見ると、屋根はもうなくなっていて、石の柱や壁だけが残っている。本来内部であった場所が外部になっています。廃墟というと語弊がありますが、遺構がもつ周囲と溶けあっていくような関係にも可能性を感じていました。
私が初期につくった住宅のひとつである「House N」はそれらの影響がとてもよく反映された作品だと思います。3つの箱が入れ子になっていますが、外から見ると穴だらけでプライバシーがないように見える。ただ、中に入ると外の視線はカットされていて、逆に庭とは密に関係しています。壁同士の関係だけで、つまり部分の関係だけで居場所ができていて、それぞれ適切な開口があいています。お施主さんはご近所さんから「あなたの家は穴だらけなのに、いるのかいないのか全然わからないわ」とよく言われるそうで、おもしろがって話をしてくれます。入れ子や遺構については見てのとおり、わかりやすいですね。
東京都新宿区の藤本壮介建築設計事務所にて。
「立体化しろ」という藤森先生の指摘
どのような経緯で計画が始まったのですか。
藤本施主は私の妻の両親です。妻は事務所の最初の所員で、まだ結婚する前でしたが(笑)、当初は増築の依頼がありました(「初期案 」を参照)。
増築というと、既存の建物に別棟をつけたすのが普通だと思いますが、ここでは既存の建物が膨張するような増築のあり方を考えました。外壁や広い庭の一部をインテリアに変え、内外に新しい関係をつくろうという提案です。ただ、ある程度お金がかかってしまうので、それなら新築でもいいのではないか、という話になった。金額以外だと、既存の住宅の中にあふれた物を一度リセットして、できるだけシンプルな暮らしをしたい、という要望もありました。
敷地はどんなところですか。今、横で道路工事をしていますね。
藤本それは計画道路で、設計当初からわかっていました。敷地は大分駅から徒歩15分ちょっとの住宅地で、以前は周囲の道は狭かったのですが、道路工事で東側が大きく開けました。これからは、スピード感のある大きな幹線道路のスケールと、住宅地の小さなスケールに挟まれた敷地になります。案を思いついたきっかけが思い出せないのですが、そうした異なるスケールを、それぞれの箱が対応できるように入れ子の案を考えたのかもしれません。
入れ子案は、最初からありましたか。
藤本スタートの案は忘れてしまいましたが、箱を入れ子にするアイデアはあるとき急に思いついて、その後はあまり変化しませんでした。それまでも、入れ子のアイデア自体はもっていて、コンペで賞をいただいたこともあります。ただ、そのアイデアは立体ではなく、平面のまま止まっていたんです。壁の材料もすりガラスで、天井をどうすべきかわからなかった。じつは、これ以前の作品を藤森照信さんに見ていただいたことがあるのですが、「立体化できていない」と批評を受けていました。それで、なんとか立体化できないかと意識していたんです。
だから、この案を思いついたときはうれしかったですね。自然と天井も決まるし、内外の境界も溶けていくような印象が得られた。「これは発明だ!」なんて思いました(笑)。
全体の構成を生かすディテール
3つの箱は構造や壁の厚みが違いますね。
藤本外側のふたつがRC造、内側が木造です。厚みは、外側から220㎜、180㎜、138㎜と、だんだん薄くなっています。外から見ると奥行きが強調されますが、中から見ると逆に街や庭が近くに感じられる。距離感がいる場所と見る方向で変わるので、不思議な感じが出たと思います。それから、開口部はすべて黄金比にしたのですが、これは視線が壁よりも開口部に向くよう意図したものです。
仕上げも各部で違います。壁の表面はリシン吹付けのザラザラした仕上げ、小口はツルツルにしています。今お施主さんが小口に小物や植物をのせていますね。壁や天井は白色ですが、この色は、たとえば夕方なら黄色っぽくなるし、夏は緑が生い茂っているので少し青っぽくなる。そうした箱の中に充満した光の魅力がちゃんと伝わるようにしようとした結果です。外側の色だけは街と関係するので最後まで悩みましたが、結局は白に統一しました。住宅の内と外をはっきり分けたくなかったからです。
概念的でも、概念だけではない
全部白色だからこそ、極端に概念的なものとして伝わってしまう側面もありますよね。
藤本そうですね。とくに写真などで見ると、概念がそのまま立ち上がっただけじゃないかと思われるかもしれません。でも、自分で言うのもなんですが、実際に中に入るとゆったりして気持ちいいですよ(笑)。施主は「お客さんがいつまでも帰らないのよ」と言ってくれます。やはり、住宅の本質は暮らしにあると思いますし、そのリアリティは大切にしなければいけません。だからこそ、今まで以上に快適な暮らしの場をつくりたいとも思います。そのためには、壁や天井といった建築の基本的な要素をもう一度考え直してみる。その結果、何かしらの概念が生まれます。しかし重要なことは、その概念が施主の要望をしっかり反映できるものであることです。
この住宅の場合は、部屋の数や位置が変化しても、あるいは開口部を増やしても、入れ子であることは変わりません。これなら、竣工後も枠にはまらない自由な暮らしをしてもらえると期待しました。
確かに、お施主さんも「いい空間があれば、物欲が消える」とほめていらっしゃって、これは名言だと思いました。
藤本それはうれしいですね。建築関係の人ではないのに、そこまで言ってもらえるとは。
この入れ子の設計にはその後の展開があって、そのまま拡大したような美術館の計画(「De Museum Complex[中華人民共和国・上海]」2010〜)などもありました。ただ、入れ子にこだわっているわけではなく、アイデアはそのつど、さまざまなものが出てきています。分子構造のようだったり、新体操のスティックのようだったり。現在は、大型のものや、海外のプロジェクトがかなり増えていますが、それでも部分の関係から建築を考えることや、自然に溶け込んでいくような建築のあり方、それを成立させる概念という原点は、今でもずっと探求を続けています。
Fujimoto Sosuke
ふじもと・そうすけ/1971年北海道生まれ。94年東京大学工学部建築学科卒業。2000年藤本壮介建築設計事務所設立。おもな作品=「Tokyo Apartment」(10)、「House NA」(11)、「武蔵野美術大学美術館・図書館」(10)など。