そうした言葉で説明しないとわかりにくい空間の先端を拓いているのが今の日本の若い世代である、と私はにらんでいるが、長谷川豪の探究は、垂直でも水平でもない斜め上方の空間。
 こういうひとつのテーマで新しい建築全体が出現するわけではない。新しいものが生まれるときには、急に全体が誕生したりせず、3つの段階を経ると、建築史家としての私は、19世紀の歴史主義から20世紀のモダニズムへの変化の過程を観察するなかで知った。まず、欠落が起こる。大事な要素の欠落は、表現上でヘンなものを生む。次に、過剰が起こる。ひとつ要素の過剰は、機能上で困ったものを生む。こうした欠落と過剰を不可欠な過程としてくぐり抜けた後、ちゃんとした建築全体が出現する。
 斜め上方へのコンシャスは、新しいひとつのテーマだろう。こういうひとつのテーマをデビュー作で顕示できるのは強みにちがいない。ひとつあれば、ひとつがふたつ、ふたつが4つ、増殖を重ねて、後はなんとかなるだろう。
 斜め上方なんていうめずらしいテーマがどうして生まれてきたのか、この点を聞くと、「身体感覚を拡張したかった。家形をとるのも、身体感覚の拡張に合うからです」。
 確かに、上と水平に加え斜めが入れば、四方八方への動きが可能になり、ひとつの方向への動きというより、空間の身体感覚が膨れる感じになる。家形は、四角よりは球に近い分、スムーズに膨れることができる。
 そう考えて気づいたが、木の骨組みの外側に1枚、内側に1枚、風船のような薄い皮膜をプーッと膨らませてつくったように見える。森のなかの風船の家。

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