それにしても、どんな筋道を経てこのプランは生まれてきたのだろう。設計当初の案は、2階建てで、扁平な切妻屋根の2階は寝室にあてられ、1階はピロティ状となり、2階を支える6本の独立した柱の中には便所、風呂、台所、階段、物置(ふたつ)の機能が、それぞれ納まる。
実現すれば、分離派住宅1号というよりは別の評価を受けただろうが、大胆不敵なプランといっていい。山本の頭の中には、屋根と床面だけからなる住宅イメージがあったという。
屋根と床面だけにして、寝室機能は屋根裏に押し込み、便所、風呂、台所、階段、物置はバラバラにして〝柱"の中に納めれば、確かに屋根の下の何もない床の上で食べたり団欒したりして暮らすことができる。
食べることと憩うこと以外の全機能を分離独立させることから、分離派住宅は始まったのである。
山本はおそらく、住宅の原型といったことに興味があり、屋根の下、床の上で家族がなすのは、食べることと憩うことのふたつだけでいいと思いいたっていたのではないか。ほかの機能は、バラバラに分離してかまわない。と、以上のように考えてみたが、どうも思考が行き詰まる。現代の分離派へつながってこないのだ。





