特集2/インタビュー

美容室の昨日、今日、明日

技術をみがく時代

―― まず八木岡さんが美容業界に入ったきっかけから話してください。
八木岡 聡 生まれは1958年、49歳です。33年前に美容を始めました。今のようにヘアデザインが商品ではなく技術が商品という時代でした。一所懸命技術をみがいていい美容師になる、誰よりもいいカットをするとか、もっと速くパーマを巻けるとか……。
―― サスーンカットという時代もありましたね。
八木岡 はい。僕もサスーンのスクールに行きました。欧米の影響がすごく強い時期だったんです。欧米の情報知識をもっている人が有利だった面もあるんです。模倣の時代といっていいかもしれない。そういうカルチャーみたいなものが、日本全体にありました。着るものも含めて日本にオリジナルなものが出る前の段階でしょう。だから挑戦をしながら、模倣もしながら学ぶ時代でしたね。
―― 最初に店をつくられたのはいつ頃でしたか。
八木岡 13年前です、代官山に。そういう意味では遅いデビューなんです。その前は「シマ(SHIMA)」という美容室にいました。まだシマが1店舗しかない時期で、西荻窪の10坪ぐらいの小さな店でした。21歳のとき表参道に自分で物件を見つけてそこで店長をやり、それからシマの10店舗250名の統括をやりました。結局15年シマにいました。その後ニューヨーク、パリと日本を8年間離れ、13年前代官山に出店しました。僕はタイプで言うとオーナーシェフ型なんで、店を大きくするとか、店をたくさん出すということではない価値観を大切にしたい。自分の仕事とスタッフの管理、イコール商品の管理ということになるんですが、そういったことをきちんとやれることが僕には大事なんです。とはいえ仕事にはあるスケール感がいりますね。人がひとり辞めただけで仕事に影響が出るというのはいやなんです。ちょっとナーバスになったりしますよね。規模が小さいとそういうことも出てきますから。適度な大きさも大切だと思います。
 もともとこの職業は独立したり、パートナーと別れて次のステップに行くことは必然的に出てくる仕事です。終身雇用でずっとやっていくビジネスではない。また、お客さんも共に歳をとっていきますから、それが過ぎると店としては若い人からは魅力がなくなってしまうわけですね。お客さんも新しい世代からゲットしていくという意味でも、鮮度を保ちながら運営していくスタイルというと、今ぐらいの規模でやっていくのが自分のなかでは最上です。
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