自閉と分離 (株)山本理顕設計工場 ホームページへ

 若い人向けのコンペに現れ、ついには西沢立衛の「森山邸」(2005)で現実のものとなった分離派である。本来、ひとつ家の中に納まる寝室、居間、台所といった各機能がひとつ敷地の中に、さらには町内中に散らばるという世にも珍しい分離派住宅。
 若い人向けのコンペでしばしば現れた後、しばらくして実現したということは、日本の現代の住宅、その背後に広がる社会や家族のなかで起きていることの予兆的反映なのではないか。いったい、その源は、どのあたりまでさかのぼることができるのか。
 ネーミングからまず思い出したのは1968年の黒沢隆の「個室群住居」だが、バラバラ感は乏しい。
 次に思い出したのは、意外な人物だった。山本理顕である。
 山本は、建物の設計にあたり、社会性、公共性を重視することで知られ、コンペのときなど、この面への配慮に欠ける若い人に苦言を呈する。集合住宅はことさらで、社会と家族のあり方から発想を進め、その結果、当然のようにまず平面が固まり、つづいて立面に向かう。
 スタートは、西山夘三の計画学に近いのだが、ゴールは西山系とは大幅にズレて、そうとう大胆で先鋭的な建築表現に至る。このスタートとゴールの方向のズレは、私たち世代のなかでは一番大きく、かねて私には謎だった。
 山本の社会性、計画学性に着目すると、分離派住宅が生まれてくるとはとても思えないが、表現の先鋭性に着目するなら、分離派もありうるだろう。

  • 1/4
  • →
  • Drawing
  • Profile
  • Data

TOTO通信WEB版が新しくなりました
リニューアルページはこちら