現物を訪れ、本人に話を聞くしかあるまい。いったい何がどうなって分離派住宅の芽は吹いたのか。
山本は、およそ30年前、77年の〈山川山荘〉と、78年の「石井邸」と、ヘンなプランのふたつの小住宅を手がけている。山川山荘は、6つの独立した部屋空間からなり、ひとつには居間と台所と食堂が入り、ひとつには寝室が入り、ひとつには風呂、もうひとつには便所が入り、残りのふたつは物置となっている。
6つに囲まれたオープンなスペースの中央に、台所の部屋から運び出されたテーブルと椅子が置かれると、食事と団欒にあてることもできる。
確かに各部屋、各機能が分離独立しているから、これこそ分離派住宅第1号にちがいないが、しかし、ひとつ屋根の下に納まる点は〝不満"が残る。この点、「岡山の住宅」( 92)のほうは十分で、あいだに庭をはさんで、台所・食堂と個室と水まわりが分離独立する。
今回は山川山荘を取りあげる。設計の事情を山本さんにうかがった。驚いたことに、これが独立第2作目だという。家具の藤江和子さんを通して施主の山川徹さんと知り合う。徹の父の山川力は金の地金を扱う実業家にして山川出版の創業者でもあり、没後、記念として母の別荘をつくることになり、次男の徹が山本に頼んでつくったのが分離派住宅第1号となる。5人兄弟のうち、ふたりの方とお会いしたが、全員一致で、「亡くなった徹が独断で進めました」。なんであれ第1号たるもの、独断なしで実現することはなかろう。
山本の記憶によると、アメリカ留学から帰国したばかりの徹氏は、自然のなかでの生活を強く望み、このプランでいっこうにかまわなかったし、母はじめほかの家族も、「いかに住みこなすか考えると、とても楽しく、今日まで使ってきました」。





