観点を変えて迫ろう。分離派住宅を山本がつくった頃、同世代は住宅の自閉化に邁進していた。社会や都市といった外部に対して閉じ、穴蔵的住宅に立てこもろうとしていた。安藤忠雄の「住吉の長屋」(76)、伊東豊雄の「黒の回帰」(75)、などなど。
 山川山荘は、逆に完全オープンともいえるのだが、食べる憩う以外に注目すると、とりわけ寝室の穴蔵化、自閉化は著しい。
 ほかの同世代がアルマジロのように住宅を丸ごと自閉化したのに対し、山本のみは各機能単位で、落ち葉の下のダンゴ虫たちのように、コロコロ自閉してみせたのではないか。
 そう考えると、現代の分離派へのつながりがみえてくる。自閉したアルマジロのような一軒の家が、内側から解体したらどうなるか。寝室、居間、台所、食堂、物置、便所、風呂などなどの各機能が、一軒にまとまる内的必然性はなくなり、それぞれに分離され、一軒の家の中から町へとダンゴ虫のように転がり出るしかないだろう。
 山本の山川山荘は、30年前に、設計者も発注者も気づかないまま、そうした未来を先取りしていたのかもしれない。すぐれた表現は、設計者の意識を超える力をもつ。
 八ヶ岳山麓の山川山荘を訪れ、山川家のみなさんと楽しい数刻を過ごさせていただいた。デザインの印象は白井晟一みたいで驚いたが、これは〝設計者も気づかないまま"なんかじゃなく、それこそ偶然である。

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