今日本には、空室がつづくアパートや空き家がたくさんある。人口減少が進むとさらにそれらは増えていくだろう。条件に恵まれて再生されることもあるが、連勇太朗さんが主宰するモクチン企画で行っているのは、それら全体の再生のために「レシピ」をつくること。その「レシピ」は何を生み、どこに向かうのか。
作品 「kubomi」
企画・設計 モクチン企画 連 勇太朗
取材・文/伊藤公文
写真/山内紀人
大森駅の近くにある木造長屋の改修。隣のカドヤ建設が購入し、自社のミーティングスペースとともに、社会に開いた屋外スペースをつくった。
モクチンに活路はないのか
木賃アパート、通称モクチン。戦後の住宅不足に発した民間の木造賃貸住宅で、たいていは2階建て。とりわけ数が多い東京では45万6000戸あるという。23区内では山手線の外側にドーナツ状に広がる、いわゆる木造住宅密集地域(モクミツ)と重なって分布している。災害発生時の安全性が強く危惧されている地域だ。モクチンの多くは老朽化、環境悪化、市場の変化による空き家率の上昇という必然の問題を抱えているが、家主の高齢化からくる管理不足、改修資金の不足、敷地の接道長さの不足など、さまざまな不足により建て替えがままならない状況にある。家賃の引き下げしか空室率低下を防ぐ手段はない、というのが不動産業界の定説。敗戦覚悟の守り一辺倒か。
このなかからたまたま改修資金が多少ある1棟のモクチンを取り上げ、丁寧な改修設計を施し、綿密な施工を行って再生させることは理論的にはできる。だが現実にはどうか。設計者にとっては労多くして実入りは少ない。施工者にとっても面倒が多いうえに総工費は少ないのだから触手が伸びない。家主にしても効果に確信をもてないので二の足を踏む。そうして再生されないまま放置され、さらに家賃が下がるという悪循環に陥る。
建築系の大学院生だった連勇太朗さんは渋谷区にあるモクチンの改修を手がけたが、完成したときに達成感よりもむしろ空しさがあったという。周囲に古びたモクチン群が立ち並ぶ環境には何の変化も起きないことを実感したからだ。この経験をきっかけに、まったく新しいアプローチに乗り出すことにした。
レシピでモクチン群を活性化
「モクチンレシピ」
連さんが主宰するNPO法人モクチン企画が運営するウェブサイトの名称である。モクチンを改修する際のデザイン・アイデア集で、現在は58種ある。
たとえば「№2きっかけ長押」は、どこにでもある長押を利してハンガーかけやもの置きとする提案。「№52メリハリ真壁大壁」は部屋のタイプにより木造軸組みを生かした仕上げと壁材で軸組みを覆った仕上げを併用する提案。「№57減築デッキ」は、増築された差し掛けの部屋を屋外デッキに変更して風通しや明るさを確保する提案。
このように58種の中身は、ほんの小さな付け足しや一部分だけの取り換えがほとんどである。きわめて現実的、即物的、大掛かりなものは何もない。
レシピは2012年からウェブ公開されている。数度にわたって改善されてきたインターフェースはとても軽快で洗練されている。ひとつのレシピに「相性の良いレシピ」「似ているレシピ」が関連付けられ、さらに工費、DIYの難易度が表示されている。実際の事例から検索することもできる。
閲覧・利用の対象者は家主、住み手、不動産業者、施工者など幅広い層が想定されている。利用者はニーズに応じて、レシピのひとつだけをインテリアの模様替えのヒントにしてもよいし、外観の見ばえを少しだけよくしたり、あるいは主菜+副菜+デザートのような感覚でいくつかを組み合わせ、住み心地の改善に乗り出してもよい。レシピはきっかけを示し、方向性を与えているだけだから、その使い方はまったく自由なのである。
しかし「モクチンレシピ」の真の企図はこの先にある。年会費20万円で会員になると、各レシピの使い方とつくり方の詳細の閲覧、各種情報の受け取り、再生事例の内覧会への参加、勉強会やセミナーへの参加、相談コーナーの利用などの特典がある。会員には地域に根付いた活動を地道につづけている不動産業者が想定されていて、現在は20社。
この会員制度によってレシピはたんなるデザイン・アイデア集であることを一挙に突き抜ける。住み手、家主、仲介者(不動産業者)、施工者を緊密に、多様に、効果的に結びつけるプラットフォームになるからだ。仲介者はレシピを用いて家主への提案の選択肢を増やし、施工者は具体的なつくり方を知って改修を効果的に行い、住み手と家主はそれらの複合効果の恩恵に浴する。その結果、住み手を得たモクチン群が活性化し、一帯の住環境がじわじわよくなっていく、というストーリーが成り立つ。
モクチンレシピの会員の実践
JR大森駅の西口、駅前を南北に走る池上通りを南に300mほど行くと右手にカドヤ建設の建物が現れる。そのすぐ隣に築60年、木造2階建て、間口2間の店舗がふたつ並ぶ長屋がある。その片方をモクチンレシピの会員であるカドヤ建設が所有し、連さんとの協働で改修を行ったのが「kubomi」である。
道路に面して幅3.6m、奥行き3.3mの空間がある。道路との境には透明なビニールカーテンが吊られているが、普段は開けられている。中に入ると床はモルタル、白い壁は奥側が半円をなしている。
仕掛けは3つ。ひとつは1階の壁をマグネット塗料、ホワイトボード塗料で塗装したことで、磁石でものを留め、ペンで文字や絵を描くことができる。ふたつめは、2階の床を撤去して吹抜けとし、天井や斜交いなどの木造軸組みを現しにして味わいを出したこと。3つめは、2階の外装の銅板をクリーム色から鮮烈なベンガラ色に塗り直し、従来の開口部の形状はそのままに大きな1枚ガラスとして、街並みに新鮮な印象を刻したこと。
くぼみ部分を舞台に見立て、ライブパフォーマンスの場を提供。ストリートミュージシャンのためのスペースにもなる。
写真提供/カドヤ建設
街並みのなかの小さな人だまり
広さ約5.5畳の「kubomi」に特定の用途はない。現在は椅子とベンチが置かれているだけ。道に開かれた常時開放の半屋外スペース。モクチンレシピの遠い祖先であるC・アレグザンダーのパタンランゲージのなかでは№124「小さな人だまり」が最も近い。それはこう叙述されている。「公衆の集まる場所は、小さな人だまり――外縁部の部分的に囲われた小さな場所――で取り囲むこと。そこは人の経路から外れた場所であり、人々が立ち止まり、そこの活動に自然にかかわり合えるような場所である」
「kubomi」はウィロード山王商店街の入口にある。商店街の人通りは年々減少しているという。コンビニなどの店舗がところを選ばずにでき、既存の商店街の商圏が狭まっているのがおもな要因だという。この商店街にはカドヤ建設と同グループのスーパー・カドヤがあり、その隣には3・11後、商店会をあげての石巻支援を契機に生まれたアキナイ山王亭がある。さまざまな団体がここで催しを行い、毎週土曜日には石巻産の商品を販売する石巻マルシェが開かれている。
「kubomi」はこうした地域の活発な動きとの連動が意図されている。若手クリエーターの個展、ハロウィン時の子どもの落書きイベント、石巻マルシェをもり立てるコンサート会場のひとつなどの催しが不定期にある。それも一時で、ふと見ると、お年寄りが腰を下ろしている、子どもたちがたむろしている、主婦たちが世間話をしている、弁当を食べているなど、いろいろな場面が見られるという。所有者は今の時点で許諾の線引きはしないという。何もない空っぽのパブリックな場所が常時、街並みのなかにあることの意味が、ここで試され、問いかけられている。
建築家の第4のアプローチ
住環境の改善への建築設計者の関与を考えたとき、高みから大上段のスキームを企てる方式はとうに限界が明らかになり、個人住宅の一つひとつに創造能力のすべてを注ぎ込むアプローチも発展性が期待できず、地域に身を投げ入れてコミュニケーションを繰り返しながら改善の道を探る方法もいささか出口が遠いのは否めない。それが現状ではないか。
モクチンレシピはそれらとは明白に異なる第4のアプローチを示している。ウェブを利して利害を異にする層を垂直に結びつけ、理念や提案の枠を超えて現実的な改良にストレートに向かい、成果が重なるに従って実地の検証を経たシステムがさらに強度と有用性を増していく。
連さんはしかし、モクチンレシピというシステムの対象は木賃アパートに限定されないと考えているようだ。私的領域から公的領域へ、あるいはほかのビルディング・タイプ、ほかのスケール、さらには建築とは異なるジャンルへの発展がもくろまれているのかもしれない。その点からすると「kubomi」の小さな試みの先には、広く深い海原が見通されているのだろう。