設計/椎名英三+梅沢良三
写真/普後 均
文/藤森照信
20世紀建築にとって鉄をどう表現するかは大きなテーマだった。その足跡をたどると、まず19世紀の鋳鉄による歴史主義的な表現に始まり、最後は鋼鉄(スティール)の枠組構造(ラーメン構造)にガラスをはめるところに至り着く。戦後のこの到達を可能にしたのは、もちろんシカゴに移ってからのミースで、ミースに示唆を与えたのは戦前の坂倉準三の「パリ万博日本館」(1937)だった。
線材としての鉄ならそのとおりだが、鉄は鉄板として面でも使われ、鉄板構造についても建築家は忘れてはいけない。
鉄板構造の代表は船と水槽だが、もう少し建築っぽい分野にも例はあり、エッフェルがニューカレドニアに建てたアメデ灯台と、明治の犬吠埼(いぬぼうざき)灯台の霧笛室を見ているが、いずれもそうとう古く、戦後の例は知らない。
鉄板構造の建築を大きく欠くそうした20世紀建築に変化が現れたのはごく近年のことで、石山修武と伊東豊雄が先駆した。面構造では建築より決定的に先を行く造船技術を世界で初めて建築に持ち込み、自由度の高い鉄の構造表現を可能にした。いずれも文化施設や商業ビルなどで、建築史家としてはいつ誰が何の理由でその技術を住宅に移すかに関心があった。まず、阿部仁史が石巻の小住宅で試み、さらに2007年その名も〈IRONHOUSE〉が出現した。
施主は梅沢良三、設計は椎名英三と梅沢良三。当然のように鉄板構造は構造設計家として名高い施主が手がける。
建築家の椎名は、施主と構造設計家によって板挟み状態。
梅沢「構造はできても空間は無理だから椎名さんにお願いした」
椎名「気持ちいい空間を考えるのが、このたびの私の仕事」
ということらしい。
椎名さんらしいと私が感じたのは吹抜けの天井が斜めに上がっていき、頂部から光が落ちる空間で、住宅にはごくまれなこの構成は椎名さんの師の宮脇檀の「松川ボックス」(71)ゆずり。松川ボックスでは斜めの上がりが平面だったが、ここでは階段状に段々になって上がる。段々だから松川ボックスに比べ表情は著しく強くなり、室内空間の最大の見せ所となっている。
室内に入る前から心配したのは、断熱の一件。打放し同様、鉄板構造の壁体はそのままだとあまりの暑さ寒さに猫も逃げる。石山の「リアス・アーク美術館」(94)以来、日本の鉄板構造施工をリードする元造船所の高橋工業は、4.5㎜の鉄板2枚のあいだにデッキプレートを挟み、その空隙に漁船用のウレタンを充塡して全厚10.9㎜の壁体をつくっている。溶接のとき、ウレタンへの加熱が心配だが、有害性ガスを出して燃えたりせず少し焦げるだけらしい。工場でそうしてつくった壁パネルを現場に運び、逃げを2㎜とって立て並べ、最後に溶接して一体化する。
外観からは広からぬ敷地いっぱいに鉄の筒がズドンと立つように見えるが、中に入ると印象は一変し、緑がこれでもかとあふれている。緑の見どころのひとつは地下1階で、外部空間(中庭)と室内空間がガラスの引き戸を引き込むと完全に一体化する。椎名さんのディテールの勝利。
もうひとつの緑の見どころは屋上。室内から見上げた段々も屋上緑化の土を留めるためだった。建築緑化の試みとしては、量はともかく質は屈指。建築緑化についてはうるさいほうだが、野菜と果樹を含めこれだけ多様な緑を、ちゃんとコントロールしている例はほかに知らない。
コールテン鋼の鉄板構造は鉄錆を宿命とするが、鉄錆のマイナスを質の高い緑がどれだけ補っていることか。
梅沢さんは緑が好きだから緑化を実現し維持しているわけだが、もしかしたら、鉄が梅沢さんを通して緑を求めたのかもしれない。そんなことを考えたのは、屋上の細道をたどりながら「池辺陽自邸」(58)と石山の「世田谷村」(2001)を思い出したからだ。前者は、鉄骨とガラスだけの無機質さを特徴とするが、しかし池辺は隙間から侵入した緑を生い茂るがままに任せていたし、石山は高橋工業がつくった鉄だらけの自宅の屋上に大量の土を入れて庭園(畑)としていた。
鉄は緑を求め、鉄筋コンクリートは緑を求めない、のか。
なお、なぜ住宅に鉄板構造を用いたかについて梅沢さんに聞くと、
「200年はもたせたいから」。
所在地 | 東京都世田谷区 |
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主要用途 | 専用住宅 |
設計 | 椎名英三+梅沢良三 |
構造設計 | 梅沢良三 |
施工 | 滝澤建設+高橋工業 |
敷地面積 | 135.68㎡ |
建築面積 | 66.77㎡ |
延床面積 | 172.54㎡ |
階数 | 地下1階、地上2階 |
構造 | 鉄骨造+鉄筋コンクリート造 |
竣工 | 2007年 |
図面提供 | 椎名英三建築設計事務所 |
Umezawa Ryozo
1944年生まれ。日本大学卒業後、木村俊彦のもとで構造設計家となり、その後、丹下健三の事務所を経て、84年、独立。2003年、自邸兼アトリエ「IRO-NY SPACE」を鉄板構造でつくる。「IRONHOUSE」で椎名英三とともに日本建築学会賞受賞。日本を代表する構造設計家として知られる。
Shina Eizo
1945年生まれ。日本大学卒業後、大高正人の事務所を経て、宮脇檀のもとで住宅設計を学ぶ。76年、独立。宮脇檀の流れを継ぐ建築家として知られるが、今回の「IRONHOUSE」を見て、本人には意外かもしれないが、大高正人の骨太い表現も引いていると思った。梅沢のついた木村も、椎名の大高も、ともに前川國男の弟子にちがいなく、前川の遠い響きを聴く思いがする。
Fujimori Terunobu
建築史家。建築家。東京大学名誉教授。東京都江戸東京博物館館長。専門は日本近現代建築史、自然建築デザイン。おもな受賞=『明治の東京計画』(岩波書店)で毎日出版文化賞、『建築探偵の冒険 東京篇』(筑摩書房)で日本デザイン文化賞・サントリー学芸賞、建築作品「赤瀬川原平邸(ニラ・ハウス)」(1997)で日本芸術大賞、「熊本県立農業大学校学生寮」(2000)で日本建築学会作品賞など。