都心の各所で高架下の活用が進んでいる。籾山真人さんや古澤大輔さんたちが主宰するリライトでも、エリアマガジンを発行して地域と密着するところからはじめ、運営にもたずさわりながら、中央線の高架下に飲食店などが入る複合施設を企画し、設計した。その多面的な活動に注目する。
作品 「中央線高架下プロジェクト」
コミュニティステーション東小金井+モビリティステーション東小金井
企画・設計 リライト 籾山真人+古澤大輔
取材・文/豊田正弘
写真/傍島利浩
週末の昼下がり、JR東小金井駅から200mほどの高架下の広場には、ロックボーカルが響きわたっていた。そして近郊の食材を集めたマルシェのにぎわい。土木スケールの力強い柱脚が延々と続くなか、ここ「コミュニティステーション東小金井」と「モビリティステーション東小金井」は、仮設建築のような軽快でかわいらしい表情を見せる。
籾山真人さんと古澤大輔さんにその設計プロセスをうかがった。
沿線価値向上のためのコンサルティングから
JR中央線の三鷹〜立川間にはかつて18カ所の「開かずの踏切」があり、交通渋滞を引き起こしていた。その解消のため十数年にわたり進められた高架化工事が、2013年に完了。同時にそこには、長さ13.1㎞、約70000㎡もの広大な空き地が出現した。
高架下の利活用を目的として設立された「JR中央ラインモール」では、この場所を沿線の価値向上にどう結びつけるかを求めていた。それに対し彼らは、プロジェクト全体のマネージメントと、地域にどう入り込んでいくかというコンサルティングから関わった。
まず、無料のエリアマガジン「ののわ(『武蔵野の輪・和』の略)」を発刊。地元の食材にこだわった飲食店や雑貨店など、古くから住む人も知らないようなところを発掘し、ユニークな活動を続けている地域のキーパーソンを紹介していった。そしてこの冊子を手に地域をまわることで、周囲の人々を巻き込んでいくためのドアノックツールにもなった。「ののわ」は駅のラックのほか、100カ所ほどの店舗にも置かれ、毎月3万部を24号まで刊行することになった。
次にそのキーパーソンによるトークイベントを毎月開催し、地域活動に高い意識をもつ人たちを集めていく。最初は20〜30人だった聴衆が、文化人などをゲストに呼んだ対談形式とすることで、100人規模にまで広がったという。
また同時に「地域ライター活動」を行った。地元のライター希望者を募集し、勉強会を毎月開き、自らの企画によるウェブ記事を書いてもらった。荒削りでも想いのこもった記事は、共感を得てSNSで拡散されたそうだ。
そして、こうしたサークル活動的なアクションの受け皿となるような場を提案していく。それがひとつのかたちに結実したのが、この商業施設「中央線高架下プロジェクト」だ。
運営にかかわる建築家たち
その開発にあたって、彼らは事業収支からかかわり、地域の魅力につながるお店を誘致すべく積極的な行動をとった。というのも、一般的なJRの駅型商業開発では、費用を捻出するために賃料が高めに設定される。するとテナントはナショナル・チェーンストアばかりとなり、どこの街も同じ顔になってしまう。そこで「コミュニティステーション」の約半分の区画(コミュニティ区画)を彼らがいったん借り上げ、小規模な事業者にそれぞれ貸し出した。彼らは、JR中央ラインモールから見れば店子であり、各テナントから見れば大家なのである。
さらにこの「コミュニティ区画」については、初期費用を抑えるために、あらかじめ内装工事を施し、賃料もなるべく低く設定して、出店へのハードルを下げた。その結果、前述の「ののわ」に登場したクリエイターがテナントに入った。その多くは工房兼作業場を自宅にもっていた人たちで、待望の初出店となる。また、彼ら自身も「ヒガコプレイス(ヒガコは東小金井の略)」というフリーペーパー・ライブラリーを自主運営している。
つまり彼らは業務を委託されているのではなく、テナントの代表でもある。そのため、事業主のJR中央ラインモールに対して、こうした場を維持する運営についてスムーズな交渉が行えるわけだ。
たとえば開業1周年には「家族の文化祭」(15年11月1日)という子育て世代向けのイベントを開いた。彼らが運営の中心となってテナントと連動し、音楽ライブ、フードやクラフト、ワークショップなど30店舗が出店して、3000人を集めたという。その後も同イベントは、テナント自らが実行委員会をつくり、その世界観を保ちつつ半年に一度のペースでつづけられている。
明るく開放的な高架下施設
建築の具体的な特徴を見ていこう。「高架下の建物は外部が見えず、一般に閉鎖的。まずは開放的な施設にしたかった」と古澤さん。そこでファサードと本体を分け、本体は48個の20ft型コンテナで構成した。住宅スケールにボリュームを抑えることで、高架とのあいだに反対側の空まで視線が抜け、昼間でも暗いという高架下施設のイメージを払拭する。また各テナントからの要望に対し、コンテナのモジュールにより「コンテナ何個分」などと合意形成が容易になり、同時に、前記の小規模なテナントの賃料を抑えることにもつながっている。
そして外観を特徴づけているのは、無垢のスチールによるフレームファサードだ。歩道と施設をゆるく区切り、内外のあいまいな空間をつくって、高架下に統一感を生む。大小の開き戸をモチーフとする白いフレームは、コンテナの黒い扉と対をなし、ショッピングモールの楽しさを演出している。ここはセミパブリックスペースで、通常はそこに面したテナントが飲食の場などに使い、イベント開催の折には広場と一体になって別の屋台が出店することもある。空間の余白を生かしたシステムは、13.1㎞の高架下全体に展開できる拡張性を秘めている。
専門家のチームによるまちづくり
おふたりの話から感じるのは、建築をよいかたちで持続させる方法を考え実行していく強い姿勢だ。このプロジェクトに関していえば、場所の特性を生かして地域に根ざした文化を発展させ、そのために事業の採算を確保しつづけること。そのビジョンの明快さと行動力は、従来の設計事務所の枠を軽々と超え、新しい社会資源には新しい組織が必要なことを実感させる。
会社勤めで企業向けのコンサルティングをしていた籾山さん。馬場兼伸さん、黒川泰孝さんとともに設計事務所メジロスタジオを率いていた古澤さん。さらに、デザイン会社を経営していた酒井博基さん。3人は、ラジオ番組の運営(東京ウエッサイ)、不動産ウェブサイト(立川空想不動産)、コミュニティカフェやシェアオフィスの改修・運営(シネマスタジオ)などの課外活動的なプロジェクトで協働していた。そしてそれぞれに異なる立場で仕事をする一方、まちづくりに積極的にかかわれる事業体を模索してきた。現在の組織・リライトは、コンサルティング、建築、編集、空間プロデュースという4つのバックグラウンドをもつチームからなり、「街と人をつなぐ“メディアとしての場”」をつくっている。
「たとえば建築家のような専門家も、前提の整理から一緒に考えていく。そして結果にコミットしやすいチームづくりを目指す」と籾山さん。それは、「エンドユーザーに迎合することなく、彼らを巻き込んで新しい建築をつくりたい」という古澤さんの考えていた方向性とマッチするものだった。
この駅が生まれたのは1964年であり、東小金井は新しい街だ。籾山さんがイメージする住人像は、緑のある環境を求め、手づくりのものを評価し、自宅兼工房でものづくりに励む、子育て世代の人々。今回、テナントに参加したのもほぼ30代の若い人々だという。
「街に愛着をもちはじめた人たちの触媒となるような場所に」と籾山さん。「地域の居間をつくりたい」と古澤さん。この高架下に近所からのママチャリがずらりと並んだ風景は、活気ある新しいまちづくりを予感させてくれる。
コミュニティステーション東小金井+モビリティステーション東小金井
Momiyama Masato
もみやま・まさと/1976年東京都生まれ。2000年東京工業大学工学部社会工学科卒業。02年同大学大学院修士課程修了。02〜09年アクセンチュア。08年リライト設立。10年建築・不動産事業部を分社化(現リライト_D)。現在、リライト_C、リライト_D代表取締役。
Furusawa Daisuke
ふるさわ・だいすけ/1976年東京都生まれ。2000年東京都立大学工学部建築学科卒業。02年同大学大学院修士課程修了後、メジロスタジオ設立。10年リライト参画。13年メジロスタジオをリライトデベロップメント(現リライト_D)へ組織改編。現在、リライト_D取締役、日本大学理工学部助教。
おもな共同作品=「東府中の集合住宅」(10、メジロスタジオとして)、「瀬田の住宅」(11、メジロスタジオとして)、「十条の集合住宅」(16)