田舎の商店街の一画に立ち、空いていた古民家を再生したベンチャー企業のサテライトオフィス。
広い縁側とガラス張りが特徴の建築が、地元の人と企業の距離を近づけている。
築80年ほどの古民家や蔵が新しい役割を担い、継承された。
作品 「えんがわオフィス」
設計 BUS 伊藤 暁+須磨一清+坂東幸輔
取材・文/本橋 仁
写真/川辺明伸
隣の敷地から見た夕景。左手にオフィスになっている母屋棟、右奥にもうひとつのオフィスである蔵棟、右手前に映像のアーカイブ棟がある。
日本の住まいから、「勝手口」が消えつつある。いつからだろうか。少なくとも昔の民家には必ずといっていいほどあったはずだ。表の玄関はおもに客人向けであり、勝手口は家族にとっての日常的な出入口でもあった。漫画『サザエさん』で、「三河屋です!」と生活にすっと入ってくる御用聞きのサブちゃんという存在は、とても気持ちのよい信頼関係を感じる一場面である。
この勝手口とも呼べる存在が、「えんがわオフィス」にはある。なお、建築家にとっては思いもかけず、その勝手口は今や客人も迎える正式な玄関となってしまったのだった。
働く場所を社員が選べるように
「えんがわオフィス」のオーナーは、東京に本社を構える映像配信のベンチャー企業であり、そのサテライトオフィスがこの神山町に建てられたのである。
このオフィスはふたつの役割をもっている。ひとつの役割は、地震など大規模災害が発生した際にも業務を継続できるためのリスク・ヘッジにある。そして、もうひとつの役割が、社員が働く環境に自由を与えようというものだ。都会のオフィスで働くのが性に合っている人もいれば、それでは息が詰まるという人もいる。この企業では、社員は自分が働く場所を、東京でも神山でも自由に希望を出せる。
もともと本社は東京のビル街にあり、代表の隅田徹さんはいっそのことまったく違う環境を、と地方の田舎をめぐり場所探しをしていたという。そんな折、偶然つけたテレビで神山町と出合う。そこには川に足をつけながらパソコンで作業をしている人が映っていたのだ。そうした風景に惹かれ、改修をお願いする建築家を決める前に、まずは古民家の購入を決定したのだという。
山が強くしたネット環境
映像を相手にしたこの企業では、インターネットの高速化によって、データ容量を気にせず仕事の納品がネット経由でできるようになり、取引先に足を運ぶことも少なくなっていた。しかし、求められるのはインターネットのスピード。じつは、その点においても、山間地域である神山町の独自の事情が生み出した、強みがあったのだ。
地上デジタル放送が開始されるにあたって、山に囲まれた地域では、場所によってその電波が届かない可能性があった。そこで徳島県では「全県CATV網構想」を推進し、ケーブルネットワーク網とともに高速ブロードバンド網の整備が行われた。その結果、なんと東京よりも速いネット環境が整ってしまったというわけである。すでにオフィスは場所から解放されていた。
地域に対してオープンな場所に
また神山町は、以前からアーティスト・イン・レジデンスなどを長年行ってきたかいもあり、町の人が外からの人を受け入れる雰囲気が、すでにできていたようだ。「しかし、やはり外から来た人は異分子であることに変わりはない」、そう話す隅田さんは、オフィスも地域に対してオープンな場所にしたいという希望があった。「オープン&シームレス」、それがこの企業の理念でもあったのだ。
そこで、改修を任されることになったのが、BUSであった。BUSは建築家の伊藤暁、須磨一清、坂東幸輔の3氏により組織されるグループの名称である。普段は、個々に設計事務所を主宰しつつ、設計活動だけでなく、ワークショップやフィールドワークなどの活動も行ってきた。2010年に学生とのワークショップによって改修した「ブルーベアオフィス神山」を皮切りに、16年現在までに7つの建築を手がけてきた。
「えんがわオフィス」も、そのうちのひとつである。計画にあたっては、まず木造の家屋から軸組を残し、外に対する壁はなくし、ガラス張りにすることを提案した。しかし見えることと、親しみをもってもらうことは違う。そう感じた建築家は、建物をぐるりと一周する、「えんがわ」を計画したのだ。
台所と一体化した「えんがわ」
しかしこの「えんがわ」、いわゆる民家でイメージする「縁側」とは似て非なるものである。ふつう、縁側はせいぜい居間のまわりにめぐらされるものであり、四周すべてが縁側などあり得ない。さらには、随分と奥行きもある。2m以上あるところも。そもそも縁側に土足で上がることなどない。
テラスとも異なるこの存在は、もはや「えんがわ」としか呼び方がなさそうだ。この広い「えんがわ」は、既存の民家の軒がぐっと伸びた屋根で覆われている。そこには外とも中ともつかない場所がつくられている。これには、「えんがわ」に接した台所の存在が大きい。じつは冒頭、「勝手口」と呼んだものは、「えんがわ」から台所に通じる出入口を指している。
そもそもオフィスで台所の話は似つかわしくないが、「えんがわオフィス」には立派な台所が備わっている。食べる場所は、どの時代にも住宅の隅に追いやられることはなかった。昔ながらの民家でも団地でも、今のマンションを見ても、どれも食べる場所は生活の中心でありつづけてきた。仕事場の台所としては充実したこの空間は、内部空間だけで見ると隅に位置している。
ただ、この広い「えんがわ」と台所とを一体に考えてみよう。すると、台所の見方がガラリと変わる。じつは「えんがわ」と内部のちょうど中心に位置していることに気がつくからだ。「えんがわ」は、まるでリビングスペースのようだ。ここにいると、まるで中にいるような気持ちにさせるのは、この台所が「えんがわ」にも向かって開かれており、シームレスなつながりを生んでいるからではないだろうか。
客も社員も勝手口から入る
正式な玄関として本来設計された道路側の入口は、あまり使われることがないという。すっかり勝手口にその座を明け渡してしまった。つまり、ここを訪れる客人は最初から御用聞きの「サブちゃん」と化してしまうのである。初めての人も地元の人も、もちろん社員も、分け隔てなく中庭に入り、この勝手口から中に入る。しかし、その行為にあまり違和感なくすっと入り込める。それは、「えんがわ」に立った時点で、すでにこの建築の中に入り込んでいるからかもしれない。いつのまにか自然と建築に入り込む仕組みこそ、「えんがわ」が生み出した効果であり、この建築最大の魅力ともなっている。
この、「えんがわオフィス」を「古民家改修」と言ってのけてしまうことには、いささか抵抗がある。たしかに既存の屋根や柱はそのまま生かされている。しかし、天井近くにズラリと設置されたディスプレイの数々は、建物の古さとの対比によって近未来の感さえ漂わすほどだ。既存の民家にとらわれることなく、新しい価値観によって元の姿から解放されたことが、古いのにもかかわらず見たことのない建築を生み出している。
異分子がもたらす新しい価値観
こうしたネットを介してやり取りされる仕事では、東京でも徳島県神山町でも、変わらない仕事が求められる。つまり田舎で仕事をすることを求めているのは、社員自身なのである。大事なことは、社員が自らを置く環境と、神山町との接し方なのかもしれない。
現代は、今まで「ないものねだり」と思っていたものが、ふと可能になる瞬間がある。これまで東京の企業は、山の中のオフィスなど考えもしなかったことだったろう。またそれは、逆の立場である地方にとっても同じこと。こうした異分子の存在が、神山町から新たな価値観を発信するきっかけになりはじめている。
日本各地では、いまだに多くの公共建築の建設に、地方の活性化が託されている。一方で、「えんがわオフィス」をはじめとした神山の活動には、そうした気負いは感じられない。神山町での生活を楽しむ姿に、眠った社会資源を再発見する方法を垣間見た気がする。
Ito Satoru
いとう・さとる/1976年東京都生まれ。2000年横浜国立大学工学部建設学科卒業。02年同大学大学院修士課程修了。02~06年aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所。07年伊藤暁建築設計事務所設立。10年BUS参加。おもな作品=「半丈の書架」(13)、「横浜の住宅」(14)、「WEEK神山」(15、須磨一清+坂東幸輔と共同設計)。
Suma Issei
すま・いっせい/1976年東京都生まれ。99年慶應義塾大学環境情報学部卒業。2002年コロンビア大学建築修士科卒業。
04〜07年ROCKWELL GROUP勤務。
07〜10年VOORSANGER ARCHITECTS勤務。
10年BUS設立。11年SUMA設立。
写真提供/須磨一清
Bando Kosuke
ばんどう・こうすけ/1979年徳島県生まれ。2002年東京藝術大学美術学部建築科卒業。02〜04年スキーマ建築計画。08年ハーバード大学大学院デザインスクール修了。09年ティーハウス建築設計事務所。10年坂東幸輔建築設計事務所、BUS設立。10〜13年東京藝術大学教育研究助手。15年京都市立芸術大学環境デザイン専攻講師。
写真提供/坂東幸輔
BUS
おもな作品(神山町)=「ブルーベアオフィス神山」(10、須磨一清+坂東幸輔の共同設計)、「KOYA」(15、須磨一清の設計)、「WEEK神山」(15、伊藤暁+須磨一清+坂東幸輔の共同設計)