文・スケッチ/浦一也
バルビゾンはパリの南東に位置し、車で1時間ほど。
そのときは秋が深まり、フォンテーヌブローの広大な森は全体が明るい黄色や褐色に染まり、みごとな風景が広がっていた。
グレー村(*1)に立ち寄る。かつてあの黒田清輝(*2)が2年間くらいだが、ここに居を構えて「読書」などの代表作を描き、浅井忠(*3)もやってきて数枚の絵を残している。「グレーの秋」「グレーの洗濯場」と題したそれらの絵は中学の美術の教科書にものっていたと思うが、いつかはその風景を実際に見たいという想いがあった。小さな街の横をゆったりと流れるロワン川にかかる石橋の下、鴨のような鳥が流れくる水草や小魚などを追いかけていて、岸辺の大きな樹木が黄色い葉の影を水面に落としていた。洗濯小屋だった跡も残っている。「ああ、ここだ」。
フォンテーヌブローの宮殿を見ながら大きな森を抜けてバルビゾンに入った。小さな集落だがミレー(*4)の一連の絵画やバルビゾン派と呼ばれる絵描きたちで有名になったところ。ミレーが26年間住んだというアトリエを見る。小さく質素だ。街のいたるところにミレーなどの絵を大きなモザイク画にして掲げているのはちょっと残念。「晩鐘」を描いたところにもある。
小さな1本道の左右の風景はそのモザイク画を除けば、フランスの美しい村のイメージが凝縮されているようだ。不動産屋が多いが、パリから近いこともあって別荘地というより今やここは通勤圏なのかもしれない。
ホテルの名は「バ・ブレオ」。ハーフティンバーの建物の奥にプールもある広い芝生や花の中庭があり、客室棟は別棟。夏やクリスマス・シーズンは家族連れでにぎわうようだが、11月はひっそり。
客室はクラシックなイメージでつくられ、華やかな壁紙の部屋もあるいわゆる夢ホテル。チェアは田舎風だがバスは気泡浴槽。ビストロでワインを飲んで鴨料理をいただくと眠気が襲ってきた。
翌朝、目覚めるとベッドのそばのコーヒーメーカーをのせてある椅子が気になった。どうも変だ、座が妙に厚い。トレーをよいしょとはずしてみて「あっ」と驚いた。なんとトレーの下はトイレではないか!
でもなぜベッドのすぐ横に置いてコーヒーメーカーをその上にのせるなんてことをするのだろうか? 古道具だろうけれど信じられない。
椅子型の「おまる」である。下水が完備していなくて流すことができない時代、こんな「椅子」のふたを開けて木の便座に座り、中の白い陶器とかホーローに羽根などを敷いて用を足し、従者がそれを清掃したのだろうか。宿でもベッドのそばにこうして置いたのだろうか。雪隠は別棟や別室……という日本古来の文化とはおおいに違う。でもその考えが今日のバスルームを生んだのだ。
パリの下水道は割合早くできたのだが、黒田清輝が描いたグレーの家の平面図を見るとバスルームがない。ということはこれを使ったのかもしれない。
「トイレ椅子」を前にしてしばし考え込んでしまった。
*1/Grez-sur-Loing:フランスの村。パリ市街から南東へ約60㎞。フォンテーヌブローの南西約12㎞に位置する小村。アメリカ、イギリス、北欧の画家や音楽家たちが滞在。早くからコロニーとして知られていたバルビゾンやフォンテーヌブローにはない魅力があったとされ、それはこの村に流れるロワン川にあったといわれている。黒田清輝の滞在以後、浅井忠、和田英作、岡田三郎助、白瀧幾之助、児島虎次郎、都鳥英喜、安井曾太郎などの画家たちが、この地を訪れている。
*2/黒田清輝(くろだ・せいき):1866〜1924年。洋画家。鹿児島県生まれ。二松學舎卒業後パリで画家に転身、帰朝後白馬会を結成、東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画部教員となる。帝室技芸員に選ばれ、また帝国美術院院長などを歴任。17年子爵を襲爵。第5回貴族院子爵議員互選選挙にて当選し、20年に貴族院議員に就任。代表作に「読書」「舞妓」など。2016年には生誕150年大回顧展が開催された。
*3/浅井 忠(あさい・ちゅう):1856〜1907年。洋画家。教育者としても足跡を残した。明治美術会を興し、東京美術学校(現・東京藝術大学)教授に就任。1900年フランスに留学。代表作に「春畝」「収穫」「グレーの秋」「グレーの洗濯場」など。
*4/Jean-François Millet:1814〜75年。フランスの画家。フォンテーヌブローはずれのバルビゾンに定住し、風景や農民の風俗を描いた。代表作に「晩鐘」「落穂拾い」「種まく人」など。
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Ura Kazuya
うら・かずや/建築家・インテリアデザイナー。1947年北海道生まれ。70年東京藝術大学美術学部工芸科卒業。72年同大学大学院修士課程修了。同年日建設計入社。99〜2012年日建スペースデザイン代表取締役。現在、浦一也デザイン研究室主宰。北海道日建設計デザインアドバイザー。著書に『旅はゲストルーム』(東京書籍・光文社)、『測って描く旅』(彰国社)、『旅はゲストルームⅡ』(光文社)がある。
写真/小西康夫