特集1/座談会

戦前の萌芽

太田 それは、野沢さんが言及されている、1930年代の山越邦彦さん(*13)の自邸「DOMO DINAMIKA」(33)や、50年代の清家清さんの住宅と、歴史的にどうつながってくるのですか。
野沢 大正デモクラシーの時代を知る人たちの、不思議な豊かさのようなものは、技術も含めて、あると思います。戦前、藤井厚二(*14)の「聴竹居」(28)や山越さんの「DOMO DINAMIKA」にはそういう感じがあって、清家さんはなぜかそういう種子をもっているから、50年代の「私の家」(54)にフロアヒーティングがあったりする。でも、そうしたオーガニックなこと、エコロジカルなことを考えるというのは継続しなくて、戦後30年くらいたって、オイルショックを過ぎないとバトンタッチできなかったような気がします。
松村 僕が思うには、設備が入っていない建築における空間計画とか開口部のデザインというのは、今でいう環境工学的なアプローチなんです。プランを考えるときは、風通しをよくする、陽当たりをよくする、衛生的にするとか、パッシブにデザインすることは当然の姿勢として昔はあったんですね。それが、設備が入ってくると混乱する。なんでも設備で解決しそうな感じがしてしまいますからね。
野沢 僕もまったくそう思います。「聴竹居」にも巨大な分電盤があって、ドイツ製の電気冷蔵庫があって、各部屋には全部コンセントがついていて電気ヒーターであたためるようになっている。夏対応の住宅として、ベンチレーションとか日陰とかは考えられていても、冬は対応できていない。そこでは電力に対する大きな夢というか、電気が後は片づけてくれるだろうというニュアンスがありました。
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