特集1/座談会

北海道に学ぶ

太田浩史 僕は、内田祥哉先生のGUP(*9)の作品をひととおり調べたことがあって、その中期にダブルスキンの中に設備を組み込むという話がありました。でもその後、環境的な言及は、野沢さんたちが始めるまでずっとありませんね。
松村 それは1972年ぐらい、オイルショックの前ですね。その頃に考えられていた環境というのは、あまり危機感のないものなんです(笑)。庇をどう付けるかとか、ブリーズソレイユ(日除け)をどうしようとかね。それがオイルショック以降、省エネの時代になった途端に、本格的な技術者、環境工学の研究者が積極的に活動を始める。室蘭工業大学の鎌田紀彦さん(*10)とか……。
野沢 はい、鎌田さんは過激でしたよね(笑)。僕らも二十何年前、鎌田さんに会って、断熱・気密のことを主導されているのを見て、そこから始まったんですよ。
松村 それは新しいことで、以前の熱環境の先生たちは物理学に近いことをやっていた。気流を可視化できるかとか。
野沢 音響の先生と同じようなスタンスですね。なんか、あまり実用的ではないような……。
松村 そうなんです。それが鎌田さんは、あるべき姿を基準として示して、ついてこい、という感じですよね。
野沢 そうそう。僕も最初に北海道で見たのは、鎌田さんのコンクリートブロックの公営住宅を外断熱化した改修とか、圓山彬雄さん(*11)のコンクリートブロックの二重積み住宅とかです。僕らが始めた空気集熱のソーラーも、大量にはあるけれど薄いエネルギーだと認識していたから、そこではいろいろ勉強になりました。でもジャーナリズムは、温熱的な問題への関心なんかまったくなかったから、東京に戻ってから、札幌の上遠野徹さん(*12)の自邸はダイレクトゲイン(日射熱+蓄熱)のソーラーハウスだ、とか喧伝したんですね。北海道の建築家にとっては、ふつうに居心地をよくしようとしただけなのかもしれませんが。そのあたりが始まりですね。
  • 前へ
  • 2/10
  • →
  • Drawing
  • Profile
  • Data

TOTO通信WEB版が新しくなりました
リニューアルページはこちら