特集1/座談会

環境を設計の根拠として 野沢正光建築工房ホームページへ 野沢正光建築工房ホームページへ

豊田正弘(司会) 今日は、野沢さんの活動を通して、住宅が環境に対してどういうことができるかといったお話をお聞きしたいと思います。まず、野沢さんが設計を始められた頃のことからお話しください。
野沢正光 僕らが学校で勉強している頃は、都市計画やモデュールやオープンビルディングとかいろんな話題があって、建築家ができそうな領域ってすごく広かった。ところが大高正人事務所(*1)にいたときはともかく、独立すると小さな仕事しかない。ひとりになると、道具、手立てがないという感じがしていたんです。そのときに、レイナー・バンハム(*2)の『環境としての建築』が頭の中で浮上した。温熱的状況が改善されていくのは、設計の根拠になる。感覚的な話みたいに、今日設計したものが翌日にまったく変わってしまってゲンナリするってことがなくなると思ったんです。それは、吉村順三さん(*3)の合理的な側面から学んだこともあるし、吉村事務所で技術的提案者としても大きな存在だった奥村昭雄さん(*4)と出会ったこともあります。東京芸術大学(美術学部)を出たにしては、工学的なことに関心が強くて妙なんですけれどね。
 そうこうしているうちに、奥村さんと、当時の出来の悪いソーラーハウスをどうやったら直せるかという数人の集まりができました。空気集熱型のパッシブソーラー(*5)を考えはじめるんですが、これがけっこうおもしろかった。25年前くらいだから断熱も気密もほとんどなかった時期で、50㎜のグラスウールを入れたけれど、上のほうはずり落ちていると(笑)。その頃の「隙間がない」というスタンダードは、今からみると隙間だらけだったし、北海道に住宅を見に行くと、あちらの建築家は東京ではなくてスウェーデンやドイツを見ている。だから、やることはたくさんあって、少しずつでもやると効果が如実に表れるわけですよね。
 19世紀のエンジニアでブルネル(*6)という人がいました。彼の仕事には、技術的問題を解決すると次にまた問題が発生して、それを解決するとまた、という繰り返しのおもしろさがある。彼は力学的主題だけれど、僕らがやっているのは温熱的主題になっているという感じがします。箱の性能向上とか工業化の志向は今でもつながっていて、オープンビルディングのようなアイデアにはずっと支配されているようです。
松村秀一 そうですね。あの頃、『建築知識』によく書かれてましたよね。イームズ(*7)とか清家清さん(*8)とか、1950年代の住宅について。
野沢 そうです、そうです。編集長の真鍋弘さんに挑発されて、北海道にも温熱環境に取り組んだ建築を見に行きました。
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