この人に聞きました
株式会社ザイマックス不動産総合研究所 主任研究員
鎌田佳子さん
──中小規模オフィスビルの抱える課題をお聞かせください。
鎌田:オフィスビルは中小規模ビルが全体の大半を占め、地域によって差はありますがバブル期に建設された築25~35年のビルがボリュームゾーンですね【図1】。設備が築古化·陳腐化し、リニューアル時期を迎えています。ここをどう乗り切るかはビルオーナーにとって難しい課題です。築古ビルのリニューアルにあたって融資が不利になる場合もあり、不動産関連の法律が実態と合わずに最適な投資が難しいなど制約があります。設備の更新はせずにビルごと建て替える選択肢もありますが、建設費が上昇し、昔のような容積率上昇が期待できなくなった今はそう容易ではありません。かといって、このまま何もせずにいれば入居率が減少し、賃料維持が難しくなってしまう。大半のビルオーナーの方々は修繕費が増加する現状に課題を抱えていらっしゃいます。限られたお金をどのように投じれば、最もビルの価値向上に貢献するのか、リニューアルにどう向き合うかが重要となっています。
──オフィスビルマーケットはどのように推移しているのでしょうか。
鎌田:新型コロナウイルス感染症の流行前は空室率が低く、オフィスマーケットは順調に推移していました。しかし、感染が拡大した2020年に入ってからは徐々に空室が増えて賃料が下落する傾向が見られます。ただ、中小規模ビルでは空室が増加する一方で、新たに移転先を見つけ、移転する企業が増え、空室の消化が活発になっています【図2】。加えて注目したいのが、どんな理由で、企業はオフィス移転を進めているのかです。感染が拡大した2020年では、企業の経営のスリム化の一環とした「経費削減」が増えましたが、2021年ではオフィス戦略の見直しに伴う「業務効率化」の割合が大幅に増加するといった状況が見られました【図3】。「業務効率化」といってもネガティブな移転だけではなく、より前向きな企業移転も増えており、コロナ禍前後で中身が異なっています。これまでは同じオフィスにいながらいかに業務を円滑に、また生産性を上げるかに焦点があたっていました。そこにテレワークが加わり、働く場所は一カ所だけでなく「離れた場所にいながらでも円滑に仕事を進める」ことの重要度が上がってきました。その結果、テレワークを推進して本社を地方都市に移した企業もありますし、本社は維持しつつ郊外にサテライトオフィスを設ける企業も増えています。コロナ禍に対応した、より良い働き方を実現するためにオフィス戦略は多様化しているといえそうです
──実際にどの程度の企業がテレワークへ移行しているのでしょうか。
鎌田:企業の出社率を調べたところ、完全出社率は2割弱で、8割は何らかの形でテレワークを利用しています【図4】。ただしテレワークの普及度には規模や業種によって差があります。
従業員数別で見ると、従業員数が千人以上の大企業では実態·意向ともに「100%(完全出社)」の割合が少なく、出社率を「40%未満」に抑えている割合が35・3%に上るなど、テレワークが普及している様子がうかがえます【図5】。また、業種別では、「卸売業、小売業」や「建設業」、「金融、保険業」が実態·意向ともに「100%(完全出社)」の割合が高く、特にコロナ禍収束後については3~4割近い企業が完全出社に戻ります。「情報通信業」は現在「出社率40%未満」に抑えている企業が全業種中もっとも高く、「100%(完全出社)」は5・4%にとどまり、テレワークが特に普及しています。こうしたデータを見ると、テレワークが普及したからオフィスが不要になる、ということは考えにくいでしょう。本社を残しつつ、さらに郊外のサテライトオフィスや在宅勤務を組み合わせる「ハイブリッド型オフィス戦略」が今後は増えていくと考えられます。そうなれば都心5区だけでなく、東京郊外や地方都市でもオフィス移転や新設の動きが出てくると思います。
──オフィスのあり方が変化するなかで、企業がオフィスビルに求める要素に変化はありますか。
鎌田:企業がメインオフィスに求める要素の上位は「利便性の高さ」「セキュリティ」「耐震性能」などです。しかし近年は企業が自社のブランド力を強化したり、優れた人材を確保するために、オフィスに対して環境配慮や従業員の健康維持に役立つ設備やサービスを求める傾向にあります。ここ数年のSDGsの機運の高まりもあり、CASBEEなど第三者機関による環境認証が重要度を増しています。
従来、ビルの省エネは光熱費や水道代などのコスト削減効果はあるものの費用対効果が見えにくく、中小規模のビルオーナーにとって投資優先度は必ずしも高くありませんでした。しかし社会全体の意識変化を受けて、ビルのスマート化や省エネなどが徐々に進んでいます。外壁や屋上緑化など大掛かりな投資は難しいにしても、階段利用を促すサインの掲示などさほどお金をかけずにできることもあります。
ビルオーナーの実施施策を見ても同様の傾向が読み取れます【図6、7】。やはり省エネや耐震化は実施率が高く、今後の検討課題にも挙がっています。また、ユニバーサルデザインの導入やバリアフリー化、省エネルギー性能表示や環境認証の取得は年々意識が向上しています。
次いで関心が高いのは、エントランスなど共用部分のリニューアル、トイレの高機能化です。エントランスはまさにビルの顔であり、第一印象というべき部分。トイレは働く場所の快適性に結びつく部分であり、どこまで手をかけるかで印象は変わります。
このほかに、テレワークなどの新しい働き方の普及に伴って、だれでも利用できる共用会議室やオンライン会議に対応した個室ブースを設置するビルも出てきました。自前で揃えるだけでなく、外部の事業者と契約をしてサテライトオフィス設備を入れる方法もあります。
また、ソフト面を見ると維持管理が最重要項目になっています【図8】。築年が経過したビルであっても、管理次第で快適で清潔な空間を維持することは可能です。また、近年では地域活性化に力を入れるビルオーナーも増えています。地域のにぎわい創出や駐輪場設置などの環境配慮は、ビル経営にもプラスに働きます。ビルの立地·賃料·空間はやはりオフィスビル選びの必須項目ですが、企業はそれだけで入居先のビルを決めるわけではありません。エントランスや水まわり、個室型ブースなど共用部に工夫があり、快適さを保っていることは、オフィスを探している企業にとって大きな魅力になるでしょう。
──どのようなタイミングでリニューアルが図られているのでしょうか。
鎌田:外壁の補修や配管は長期修繕計画に従って実施されています。空調や照明は故障する前に更新するケースが多いですね。難しいのはエントランスやトイレです。ビルの印象や快適性を左右する重要な箇所にもかかわらず、「壊れていないから」と手付かずになることが少なくありません。しかし、故障はしていなくても、見た目に古びていたり、使い勝手が悪ければ魅力は下がります。デザインや機能性などの「社会的劣化」に着目し、計画的に、入居企業目線のリニューアルを考えていくことが重要だと考えます。
例えばトイレの内装でいえば、昔は重厚感のある意匠が好まれていましたが、現在は清潔感のある明るい空間が人気です。このほかにも男性トイレでも個室利用が増えている状況を踏まえて男性トイレに個室ブースを増設するなど、入居企業目線での改修を積極的に進めるビルもあります。
また働く女性が増えている今、オフィスビル選びでは女性社員も同行してその意見を聞くケースが少なくありません。特にトイレや給湯室などの水まわり空間は注意して見られるポイント。自動水栓や擬音装置などは大前提。パウダールームやメディシンボックス、フィッティングボードなどがあると喜ばれます。このほか、トイレが清潔に保たれているかも大切です。新しい機器は手入れしやすく汚れやニオイがつきにくいなど清掃性にも優れていますので、衛生的な環境を維持するうえでも効果があると思います。
──リニューアルによって付加価値を高めている事例はありますか。
鎌田:もちろんです。私たちがベストプラクティスとして紹介しているビル(下記コラム参照)は、いずれも築30年以上が経過していますが、賃料下落や長期空室は少なく、入居企業とも信頼関係を築くことに成功しています。
ビルの置かれた環境や条件によって設備改修のあり方は異なりますが、入居企業満足度を追求しているビルオーナーの姿勢は共通しています。常に時代に合わせて快適なオフィス環境づくりに取り組んできたビルであれば、この先社会情勢が変わっていっても、企業から選ばれるビルであり続けることは可能でしょう。例えば共用会議室や無料Wi−Fiの設置、手洗いの自動化などを先駆けて行ったビルは、コロナ禍の新しい価値観にも対応できています。
既存の中小規模ビルのどこを、どこまで改修することでバリューアップを果たしていくのか。入居企業目線の改修を続けるビルから、そのヒントが見つかるはずです。
お気に入りに保存しました