展覧会レポート
ざわめきとうねり
レポーター=湯浅良介
漫画版『風の谷のナウシカ』の最後のシーン、ナウシカは墓所を破壊し滅亡の未来を選択する。あるがまま、滅びるがままの未来を選択する物語に心はざわついた。人間は葛藤と矛盾を抱えたまま、抗いながら生きている。病を患えば治そうとし、重力に抗い領域を拡大し、荒地は耕して領土とする。放っておけば混沌と化す世界を技術とナラティブを駆使して制御しようとしてきた。物理学者シュレディンガーは生物をエントロピー増大ではなく、縮小する存在としてあげるが、人間がその調停者として振る舞えるかどうかの帰路に今立たされているとも言えるだろうか。しかし、他者をコントロールすることの難しさとその罪を、僕たちは歴史から学んで知っている。それぞれの時間、感情、信条をもって人間も非人間も地球上に存在している。情報過多で過敏にもなっているだろうか、そのことに鈍感ではいられない。みんなばらばらに生きている。それなのに、僕たちはカテゴライズとグルーピングが大好きで、都度何かしらに括っていっときの安心で食い繋いできた。それだから無理が生じて軋轢が生まれる。差異は、いずれ溢れ出す。いっそばらばらなまま、あるがまま受け入れられたら、と遠くを見る。
混沌を楽しんでくれよ、という諦観と怒りと優しさが、この展覧会から受けた印象だった。持っているものを手放したくない、持っていないものを手に入れたい、その欲望が技術を発展させ人類を繁栄させながらも他者との共存を難しくしている。人間はどれほどの理性を手に入れれば戦争や政治腐敗、その不道徳を止められるのだろう。むしろそれらは理性(=ロゴス)により周到に計画されている。ロゴスを司る人間だからこそ、この状況に陥っている。ならば何によって、僕たちはより良く生きられるのだろう。他者を想えるのだろう。
想像してみる。この扉の向こう側にあんなものがあったら、この家の中にこんな景色が広がっていたらと。そんなものがあるわけもないことも知っている。それでも想像するのは、自分を縛りつけようとするもの、言語や慣習、指標や表層的なイメージを拒む手段として、現実でない空想とそれを想起させる想像力が有効であると感じるから。寺山修司は幻想と想像について「月ロケットが月に到着する以前のウサギの童話は、いわば空想のユートピアにすぎないが、ロケットによって暴かれてしまった月の実体の上に、もう一度ウサギを思い浮かべることは、ほんとうの幻想の有効性というものだと思う。」(寺山修司『幸福論』筑摩書房/1969年)と書いていた。いろいろ知ってしまった上で、それでも想像し続けたい。あったかもしれない、あるはずもない、違うストーリーを描いてみたい。何かを知った時、知り得たことはその事象の一側面でしかないとしても、その側面以上にそのことを、その人を、想像することをやめてしまうことがある。何かをどんなに知っても、そこには想像するに値するだけの知り得ない余地が切ないほどに残っている。そういう余地を、もしくは余地を含みうる何かを、建築は宿せると信じている。
地面から浮いた住宅を見ながら、その床下に蠢く存在を想像してみる。穴の穿たれた建物に、制御しきれない衝動と目の前の現実か何かを打破したい怒りや切望を想像する。一見コントロールされて見えるこの世界のシステムは脆弱で見せかけだから、いっそ混沌化する目論み。優しそうに見えて激しく、狂気を内在した活動家の破壊と再生の記録。4階建の小ぶりな建物を手に入れスラブに穴をあけ、外構のコンクリートをはつる。出来上がっているものを壊しながら観察し、そこからまた何かを作りあげる。きっと誰にも覚えがある衝動と好奇心がそこにある。彼らはそこで得た実感を元にいくつものプロジェクトを行いながら、まとわりつくイメージに物怖じもせず正しさを孕んだ言葉を選択する。人間のアンビバレンスを二人の活動家が補い合いながら共闘している。
地中深く杭を差し込み建物を地面からわずかに浮かすこと、建物に穴を穿つことからは、浮かすこと以上に、壊すこと以上に、その場所を獲得する希求の意志を感じる。地中に穿かれた杭と建物に穿かれた穴は二極化された事象が氾濫する今に意のままにならないものを呼び起こすことを画策する思想の掲揚か。目詰まりした今に穴を穿ち新陳代謝を促す運動が求めるのは理解や賛同ではなくアクションか。時代の流れに乗る言葉と時代を超えた技術を武器に破壊と再生を繰り返す彼らを突き動かすものは何なのかを想像する。
夜、森や山、海を見ると、夜空よりも暗く黒く、闇が広がっている。その闇の中に、大きな秩序と小さな蠢きを感じる。静かで大きい、うねりのような強さは、清濁を併せ吞みながら、確かに淀みを圧していく。
「その人達はなぜ気づかなかったのだろう 清浄と汚濁こそ生命だということに」(宮崎駿『風の谷のナウシカ』 徳間書店/1994年)
湯浅良介 Ryosuke Yuasa
2010年東京藝術大学大学院修士課程修了。内藤廣建築設計事務所を経て、2019年Office Yuasaを主宰。2019年から東京藝術大学教育研究助手、2022年から多摩美術大学非常勤講師。
主な作品に、「FLASH」、「となりはランデヴー」、「波」など。
主な受賞歴に東京藝術大学吉田五十八修了制作賞受賞、東京建築コレクション内藤廣賞、第9回ap賞入賞、SDレビュー2023槇賞など。
主な著作に『HOUSEPLAYING No.01 VIDEO』(OFFICE YUASA,2022)、『PATH』(盆地Edition, 2023)。