間仕切りのないワンフロアが目指された空間。一方、住み手にとっては、部屋が必要だった。その両立のため、部屋をつくりつつも、全体をつなげているのが、湾曲したU字の間仕切り。
作品 「弟の家」
設計 久野浩志
取材・文/本橋仁
撮影/川辺明伸
6×16mほどの長方形の空間に、U字に湾曲した3枚の間仕切りがしつらえてある。部屋を仕切りながらも、上空ではつながっている。
「弟の家」のU字に湾曲した壁を見て、「空間概念期待」という絵画を思い出した。青や赤一色に塗られたキャンバスに、すっと差し込まれたナイフによる裂け目。現代芸術家、ルーチョ・フォンタナの代表作である。そのとてもシンプルな方法でフォンタナは、絵画のキャンバスにも向こう側があることを私たちに教えてくれた。この作品は、ふたつのことを、私たちにつきつけているように思う。
ひとつは、何が絵画を、絵画という芸術として成立させているのか、という問いかけである。肖像画、風景画、抽象画、構成主義などの描かれた世界に、見るものは引き込まれるが、そのいずれの世界も、キャンバスという「地」が支えているのだ。その事実をフォンタナは、裂け目をとおして、私たちに見せつけたのである。
そしてもうひとつは、裂け目はそれ自体では存在し得ない、というあたりまえの事実である。この作品で目を奪われるのは、漆黒の空間をのぞかせる裂け目ではあるものの、その裂け目は、キャンバスがなければ存在し得ない、という空間性を私たちに認識させた。
長い前置きとなったが、北海道小樽市に建つ「弟の家」のU字の間仕切りが生み出す効果には、フォンタナの絵画に似た気づきを、与えられたのである。
やはり、部屋がほしい
この住宅の平面は、とてもシンプルな形をしている。東西に伸びた大きな矩形の平面に、間仕切りが同じ向きに3枚配されている。それにより、部屋が4つ生まれている。ここに、トイレとお風呂が、少し出っ張って取り付く。言葉で説明できるほど、明快。その計画には潔さすら感じる。また、断面もシンプル。車庫を地階にもつほかは、生活の場は大きな四角い箱ひとつといった様子である。特徴といえば、天井の高さと東西に設けられた大きな窓であろう。天井高は4m30㎝と、とても高い。北海道などの寒冷地では、こうした高い天井やコールドドラフトを生み出す可能性のある大きな窓は、少し前まで避けられてきた。しかし、ペアガラスなどによる断熱性や気密性の向上により、これまでできなかったようなデザインも、今では乗り越えることが可能になってきたという。
建築家の久野浩志さんは、この住宅を建てるにあたり、敷地のなかでも緑豊かな手宮(てみや)公園を背にし、小樽の町が見渡せるロケーションを選んだ。この場所に寝転んでみると、こうした周囲の環境に包まれた感覚を、住宅に置き換えたいという想いをもった。そこで、間仕切ることなく住宅のスケールを超えた箱で家族の生活を覆う、ワンルームの住宅のイメージが、最初に浮かんだ。距離感や家具のしつらえだけで、生活の場を与えることはできないだろうか。そんな住宅が当初案であったようだ。実際に竣工した建物でも、周囲の環境がよく生かされ、当初の設計思想は引き継がれている。
しかし、間仕切りのないワンフロアという案に対し、住み手である弟さんから要望が入る。「やはり、部屋がほしい」と。
間仕切りが、住宅をつくる
冒頭で触れたフォンタナが最初に提起した絵画への問いを、住宅にあてはめてみたい。何が住宅を、住宅として成立させているのか。大仰な問いかけではあるが、この問いかけに対するヒントを、この兄と弟の対話のなかに見つけた。
それは、住宅たらしめる要素のひとつに、やはり「間仕切り」は挙げられるだろうということである。機能主義が日本にもち込まれて以来、いかに必要な機能を計画的に配置するかが追い求められてきた。つまり、いかに間仕切るかが生活の質を向上させてきた、ともいえる。その向上の過程で、日本特有のnLDKという考え方も生み出された。世界に目を向ければ、より自由度をもちつつ、住宅を産業化しようという、SI住宅などのさまざまな試行錯誤が行われてきた。しかし、こうした歴史の流れのなかでも、間仕切りという存在が排除されることはなかった。それは住宅が間仕切りを必要としてきた、ということを自ずと語っているとも思える。
名づけようもない機能
しかし、反省もある。フレキシビリティが欠けていたところもあるだろう。仮に竣工時に子ども部屋が必要だったとしても、子どもが大きくなれば、子ども部屋はいらなくなる。兄弟が大きくなれば、それぞれの個室がほしくなる。また現在の戸建住宅では、居間は1階、個室は2階という構成が、大部分を占めているのも事実である。
生活をするということは、ご飯を食べる、夜に寝るという行為以外にも、名づけようもない瞬間があるはず。家にこそ、そうした瞬間を包容する機能が必要じゃないか、と久野さんは言う。そこで弟さんからの要求に対して、3枚のU字型に湾曲した間仕切りという変化球を返してみせた。間仕切りの上方は、すっぽりと抜けている。この湾曲によって、間仕切ることを、0と1の関係ではなく、まるでグラデーションのようにとらえ直したのである。
この間仕切りは、住まい方を押しつけることもしないし、一方で何もない乱暴な自由さもない。住まい方に、少しの束縛を与える。それは、アイデアを与える、といったほうが適切かもしれない。この壁によって、少し低い場所には机が、高いところにはコート掛けが、というようにものを置く場所が自然と決められていく不思議さがある。もちろん、それは今適した住まい方であり、大きな家具を入れたくなれば、コート掛けはその場所を譲るのだろう。
空気が見える
ここで終わりではない。この住宅の間仕切りの話には、まだ続きがある。この間仕切りには、もうひとつ、開口としての役割があると感じる。言葉を換えれば、空気を切り取る、という仕組みである。このU字型に湾曲した間仕切りは、ある高さから、天井までその両端を伸ばしている。この閉じたU字型は、もう立派な開口だ。そして、空気を、そして向こうの景色を切り取っている。照明の細いコードをスーッと頭の近くまで垂らしているが、それ以外に、無垢な天井を邪魔するものはいっさいない。
もしこれが壁のないワンルームの住宅で、向こう側までくまなく見通すことができてしまったら、この天井いっぱいを覆う、ぜいたくな空気の存在に気づくことはなかったかもしれない。空気が見える。そうとまで感じさせるものが、ここにはある。
キャンバスは、空気だった
どうやらこの住宅を見る限り、間仕切りにはふたつの役割がありそうだ。ひとつは、部屋を仕切ること。そしてもうひとつは、仕切られた向こう側の空気を感じさせること。先ほどのとおり、寒冷地においても、大きな窓や高い天井が今や可能となった。しかし、冬の長い北海道では、屋内で過ごす時間が長いことは変わらない。いくら技術が発展しようと、気候は同じである。この住宅は、小さいながらも、部屋をもつことと広い空間をもつことを、間仕切りによって実現した。さらに、この間仕切りは暖かい空気の存在を、現前させている。
窓の話をしなかったので、最後に少し触れておきたい。西の壁には、天井に接するように設けられた、大きな窓がある。大人でも見上げるほど高い。その窓は、木々が美しい公園とは逆を向いている。そこから見えるのは、ただただ空である。施主は、この住宅に住んで初めて、曇り空も美しいと気がついたという。
この住宅にいると、空気という存在を見ることができる。そんな気にさせる。フォンタナは、裂け目によってキャンバスを認識させたが、「弟の家」は、間仕切りによって上方に空気を、そして窓からは北海道の澄んだ空を見せてくれる。