レーモンドが、hearth, home, houseの関係を知っていたかどうかはわからない。ただ、彼はチェコのボヘミア地方という冬の寒い地域で生まれ育っているし、アメリカに渡ってからついた建築家はフランク・ロイド・ライトだった。
 ライトは、中心から四方に平面ののびる"十字プラン"によって自分らしさを獲得し、十字プランの伸びやかさによって20世紀初頭のモダニズム確立期に多大な影響をおよぼすが、その十字の中心には暖炉が据えられていた。晩年の最高傑作「落水荘」(36)の平面上の核も暖炉にほかならない。
 暖炉という伝統的存在は、一見すると科学技術の時代20世紀の建築にふさわしくなく映るが、しかし使いようによっては、平面上も表現上も構造上も核心性をもちえるということを、レーモンドはライトから学んだとみてまず間違いない。
 モダニズム建築が否定した歴史主義建築の室内において、暖炉は日本の床の間と同じ装飾的役割を帯びていた。だからモダニストたちは捨て去ったわけだが、でも、グロピウスもミースもル・コルビュジエも、暖炉は捨てても、人間にとってあまりに本質的な火まで否定することはできなかったはずだ。自作のなかでは使わなくても否定はできない火。
 20世紀のおおかたの建築家たちが否定も肯定もせず自分の建築の外部の問題とした火を、レーモンドだけは建築の問題としてとらえ、さまざまに試み、そして、このスタジオをつくった。
 室内に入るまで、暖炉の印象が強すぎて、かえって空間がヘンなことになっているんじゃないか、と心配していたが、無用だった。あまりのデカさに最初は驚いたが、北澤さんが入れてくれた火のゆらぎを見ていると、人間の住まいの原点たる火のある場所がこのくらいデカくてもヘンじゃないと思えてくる。

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