ここ何年か、住まいの根本とは何かについて思いを巡らし、"火"という答えに至った。火のまわりに人が集まった時点で住まいの空間は成立し、建物はその後にやってくる、と考えるようになり、暖炉に着目し、ひとつの現象に気づいた。
 モダニズム住宅で暖炉に力点を置いた例はきわめて少ない。戦後に登場し活躍した日本の建築家で暖炉を重視したのは吉村順三だけだし、その吉村に暖炉の大切さを教えたのはもちろんレーモンド。
 そのことを私が初めて意識したのは、「レーモンド・夏の家」を訪れたときで、有名な斜路の下を見ると、暖炉が隠れるようにつくられているではないか。
 ほかの建築家たち、たとえばグロピウスやミースやル・コルビュジエが不用な施設というよりモダニズム表現の邪魔をする前近代的施設として追放した暖炉をなぜレーモンドは守ろうとしたのか。そのことを考えはじめ、戦後の〈軽井沢新スタジオ〉を見たいと思った。なぜなら、これほど暖炉を重視した家はちょっと考えられないからだ。プランを見ればわかるように、暖炉を中心として平面も構造も造形もすべてが展開している。20世紀以前を含め、これほど暖炉コンシャスな住まいは知らない。
 イギリスの田舎で訪れた古い古い農家を思い出した。寝室と家畜房に両側からはさまれたガランドウの大きな土間があり、土間の真ん中に石を敷いて炉とし、炉のまわりにテーブルや椅子があって、食卓や調理台や作業台として使われている。住まいの中心は火の場所としての炉。炉のことを英語では"hearth"といい、hearthのまわりに成り立つ人間関係と空間を合わせて"home"といい、homeを容れる器のことを"house"という。ホーム(住まい)もハウス(住宅)ももとをたどると炉に行きつく。火に行きつくのである。

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