特集/ケーススタディ

日常の場として成立する理由

 それにしても間口約10m、奥行き約7mと広くはない平面の中に、6つの箱がひしめいている状態でありながらもなお、緊張や軋轢が生じていないのはなぜか。
 その理由のひとつは、図面では箱と見えるにちがいないものが、実際には箱の量感は皆無で、5㎝足らずの薄い壁の重なりにしか見えないことにある。大きな箱の壁面の四方八方には大きな開口がとられているので閉鎖感も皆無。壁面の外側は白く塗られ、内側はシナベニヤ素地とされているので、ひとつの箱の内部から見通すと、大小、高低さまざまな開口越しに奥へ奥へと明暗のコントラストをもった壁面が重なり、時には屋外に視線が延びて庭の井戸や木立ちに向かい、そのあいだに黒い柱が適度なアクセントとして垂直に走るという軽やかな情景が展開する。
 もうひとつの理由は、上からの採光である。屋根には5つのトップライトが設けられ、大きな箱の天井にはアクリルがはめられた大きな開口が設けられている。この二重の開口から室内に注ぐ自然光の働きは設計者にとっても予想を超えるものだったようだ。直に達する強く確固とした光、何度も反射しながらゆるく降りてくる光、雲の動きを反映して揺らぐ光。さまざまな光が室内を満たす。全体を一様に明るくするのではなく、ほのかな闇をそこここに残しながらの明るさが、空間を緊張から解放している。
 そして、おそらく最も効果が高い3つ目の理由がある。それは住み手のセンスだ。自身のブランドをもち、バッグ類などを自作するデザイナーとして活動する施主によって選択された家具や備品。おおむねはミッドセンチュリーの範疇といえるかもしれないが、決して型にはまらず、独自の審美眼によって慎重に選ばれたものばかり。それらはこだわりなく雑然と配されているように見えるが、しばらくするとそれぞれがじつに適切な大きさ、適切な形をもち、好ましい場所にさりげなく置かれていることが実感される。行きすぎた洗練とは遠い、ルースな統一感。それが居心地を飛躍的に高めているのである。
 さらに付け加えるならば、庭の存在がある。最近ポンプを新設して蘇ったという井戸を中心として数本の雑木が茂る変哲もない外部空間。以前は近所の人たちが共有し、文字通りの井戸端であったであろう場所。この存在があってこそ南に閉じ、北に開くというプランニングの方向が固まり、内外の空間が相互に浸透する構成が可能になっている。

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