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松村 環境の問題を考えていくと、どれくらいのスケールなら成立するかというのが、これからのテーマになるような気がします。たとえば水について、今は中央コントロールの水処理施設で、何百万人がひとつの水系で暮らすインフラがありますが、20戸ぐらいの単位で成立することが考えられないか。都市というより群……。群でできることと、一戸ずつでできることとのコンビネーションを最適化する技術のようなものが、集合を決めていくんじゃないかと思う。
野沢 東西冷戦後のドイツをみても、「環境都市」のような標榜の仕方がありますよね。フライブルク(Freiburg)のように、環境政策を示して社会にメッセージを発している都市がある。ああいうのをみると、あるサイズになったときに発生する効率はたくさんあると思う。たとえば小さな住宅の屋根に太陽電池をつけると、逆送電防止装置とかインバーターとかがそれぞれにつくから、100の予算のうち、太陽電池には50か60しか使えないかもしれない。だけど、巨大なスタジアムの屋根に集めて、僕の分を払えば80や90にあたる太陽電池が買える。機械ってそういうものですよね。そういう知恵が、集団というかコミュニティそのものになるんだろうと思う。
太田 そう思います。集合の論理が環境建築では大事になってくる。たとえば野沢さんの「木造ドミノ」(特集4 参照)の場合、25棟を建てられた経験から、きっと何かお考えだと思うんですが……。
野沢 そうですね。独立住宅にしないで、タウンハウスのようにいくつかつなげれば、東西の壁の負荷がなくなるから有利だったとはいえます。
松村 定期借地方式なんだから、タウンハウスでいいですよね。
野沢 だけど所有とか、戸建て志向とか……、習慣のなかからしか建築や居住というのは始まらないですから、変えていくのはなかなか難しいですね。