江戸時代、全国を行脚した儒学者の林春斎が「日本国事跡考」に記したという日本三景。その一つである安芸の宮島(広島県廿日市市)には現在、年間460万人を超える観光客が訪れています。1996年には象徴である嚴島神社が世界文化遺産に登録され、外国人からの人気も極めて高い観光地です。実際、コロナ禍が落ち着いて観光客の足が戻る中、外国人の回復状況は予想以上。時期や時間帯によっては、日本人を見つけるのが難しいほどです。
廿日市市産業部観光課観光施設係の生永政志さんは次のように話します。
「かつて宮島を訪れるのは中国などアジア系の人たちが多かったのですが、最近はフランスやスペインなど欧州の人たちが増えています」
そんな日本屈指の国際観光地では、近年、公共トイレのリニューアルや新設が続いています。廿日市市が管理するものに限っても、大願寺公衆トイレと御笠浜公衆トイレを改修し、TOTOと連携して整備した「TOTO宮島おもてなしトイレ」を新設。2021年開館の「etto宮島交流館(宮島まちづくり交流センター)」にも最新のトイレ設備を導入しました。
「観光地の価値を高めるには、人の不満や不便を解消することが重要です。『臭い・汚い・暗い』といった公共トイレの固定観念を覆すことができれば、それは観光地のイメージを格段に向上させることにつながる。私たちはそう考えています」
廿日市市では、すでに1980年代から、景観に溶け込むトイレ、ゆとりあるトイレを目指して改修や設備の入れ替えを行ってきました。そうして実績を重ね、観光地に求められるトイレを追求する中、現在、先を見据えて取り組んでいるのが、〝複数の機能の融合〟だといいます。
「なぜならトイレというのは人が集まる場所、人の結節点だからです。その観点から考えれば、単に用を足すための場ではもったいない。そこで2019年にオープンしたTOTO宮島おもてなしトイレでは、1階に観光案内を設け、2階にはテーブルやいすを用意して、情報発信や休憩の機能も持たせています。また現在、ごみを自動で圧縮するスマートごみ箱の設置なども計画中です」
生永さんはそう説明します。宮島では鹿がごみを荒らしてしまうなどの理由からごみ箱が撤去されてきました。トイレ施設がごみの回収機能を備えれば、観光客の不満が一つ解消されるわけです。
「その他さまざまなチャレンジをして、うまくいったものは各所に展開していきたい。人の結節点としてのトイレの可能性を広げていくことは大事なテーマだと考えています」
一方、快適なトイレづくりに当たって廿日市市は設計会社や施工会社とも協力しながら、デザインや設備の面の工夫も多く行っています。〝機能分散〟はその一つ。車いす使用者やオストメイトの人たちが利用しやすい十分な広さの多機能トイレをできるだけ多くの場所で設置するほか、キッズ専用のトイレや乳幼児連れの人が優先して使えるファミリートイレなどを設けたところもあります。
「通常の男性トイレ、女性トイレも含め、混雑の緩和は意識しました。もちろん個室ブースの床面積を抑えてブースの数を増やすというのも一つの考え方です。ただ、私たちとしてはやはり観光地のトイレ、公共施設のトイレのイメージを変えたかった。そのため、広さや移動のしやすさなど空間づくりにはこだわりました」
そしてもう一つ、いずれのトイレでも重視しているのが〝管理のしやすさ〟です。
「当然ながら、どんなトイレも作って終わりではありません。日々の清掃やメンテナンスで快適性、利便性を維持していく必要があります。例えば、洗面コーナーの周囲はどうしても水が飛び散ります。また、使い方に慣れていない外国人が思わぬところを汚してしまうこともある。さまざまな想定をしながら、設備や内装材を選びました」
具体的には、防臭・防汚性能のある大型陶板「ハイドロソリッド」や便器下の臭いや尿シミ対策に効果的な汚垂れ陶板「ハイドロセラ・フロア」などを一部トイレで採用。さらにTOTO宮島おもてなしトイレでは常駐の清掃スタッフを配置したり、汚れが目立つことがわかった床材を変更したりするなどして、きれいなトイレの維持に努めています。
2021年4月に開館したetto宮島交流館のトイレにも、これまで廿日市市が培ってきた知見が生かされています。地下1階と1階、2階の各階には、それぞれ男性トイレ、女性トイレ、そして多機能トイレを設置。快適性と機能性、十分な広さを兼ね備えたものとなっています。
「壁掛け式の小便器をはじめ、掃除をしやすいのはありがたい。きれいなトイレだから、できるだけそれを保ちたいという気持ちになります」。清掃スタッフからはそうした声も聞かれました。
地域の公民館としての役割を持ちながら、展望室や休憩できる大階段を設けて憩いの時間、空間を提供するetto宮島交流館には、SNSなどで情報を得た国内外の観光客が日々訪れています。
「宮島観光の課題の一つは来島者の滞在時間が短いこと。腰を下ろして休憩できる場所が少ないのも要因です。そうした中、トイレで用を足した後にゆっくりと休憩できる施設ができたことの意義は小さくない。観光客の動き方も少しずつ変わってきているように感じます」と生永さんは話します。
「グループで来られた外国人観光客の一人がトイレから戻り、別の人に『あなたも行った方がいい』と促している。そんな光景を見ることがあります。トイレは今や日本の文化ですし、宮島らしさにこだわってデザインした部分もあるのでうれしいですね」
代表の坂本恭弘さんはそう言います。壁や窓枠に使われた木材が落ち着いた雰囲気を演出し、和風の手洗い鉢も印象的。荷物置きはしゃもじの形をしています。
「宮島名物の看板杓子をリサイクルして荷物置きとしました。私自身、旅行でいろいろな場所に行きますが、トイレは案外記憶に残るもの。小さな工夫が思い出につながればと考えました」と坂本さん。そもそも店づくりに当たってトイレのスペースを最優先で確保したといいます。
「観光地のトイレは大きめの鞄を持って入る人もいるし、ちょっとした着替えの場所になることもあります。なので内装の業者さんと『どれだけの広さが必要か』『どんなレイアウトがいいか』など細かく打ち合わせました。わずかな違いが使い勝手に大きく影響しますから」
設備については、非接触のニーズに応える自動水栓やメンテナンスのしやすい掃除口付き便器を採用。便器ははじめ住宅用のもので考えていましたが、「不特定多数の人が使うならパブリック用を」とTOTO営業マンからアドバイスを受けて変更しました。妥協せず、あるべき形を追求したことで、店舗、お客様双方にとって、納得、満足のいくトイレが完成しました。
全国的にも先進的な取り組みがなされている宮島のトイレづくり。ただ、行政の立場からそれを推進してきた廿日市市の生永さんは「良いトイレを整備すれば快適との評価を受ける半面、より高度な要望を持たれる方もいらっしゃいます。これは施設に対する期待の表れであり、次の整備のヒントだと考えています。その意味で取り組みにゴールはありません。今後も〝進化する公共トイレ〟という視点を大事にしていきます」と言います。
「例えばTOTO宮島おもてなしトイレでは、出入り口付近にモニターを設置する計画が進んでいます。将来的にはそこに島内の各トイレの混雑状況、空き状況なども表示していきたい。そうすれば見た人が『あそこのトイレが空いているから、あの観光スポットに先に行こう』などと行程のプランが立てられます。これも一つの不満解消です。また、お話しした複数の機能を融合した施設を新たに建てることも考えられます。とはいえ、単にトイレの数を増やせばいいということではありませんから、観光客数に対してどれくらいの数が適切なのか、どれくらいの距離ごとにトイレがあると利便性が高いのか。今後は専門家とそうした分析を行っていくことも重要かもしれません」
まさにゴールはなく、できることはまだまだあるという姿勢です。確かに、訪れる人の数や属性、社会のニーズなどが変われば、求められるものも変化する。それに終わりはありません。「日々の管理や清掃を行う現場の声を大事にして取り組みを進めていく」という宮島のトイレ。新たなチャレンジでどのような進化を遂げるのか、これからも注目です。
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