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岸 和郎:京都に還る_home away from home

展覧会レポート
動かぬ線――「岸 和郎:京都に還る_home away from home」に寄せて
レポーター=赤坂喜顕


 走る線と動かぬ線という2種類の線がある。これは現代のようなCADによる作図が主流となる以前に、手で描かれた建築図面を構成する一本一本の線の性格について述べられた言葉だ。主にトレーシングペーパーに鉛筆で描かれた線について述べられることが多く、勢い良くスピード感をもって、流れるような線は“線が走る”といわれて製図の熟達者から賛辞された。これは途中で悩むことなく、明確な目的とイメージをもって確信的に直進する、身体に任せた力動的な行為がそのまま線の軌跡として刻印されたもので、身体の野生が理性の働きを一時封じ込めて自走した、いわゆる日本古来の書画にも通底する“力”(FORCE)の形として、美学的な様式史の上ではバロックに近い。一度、加速をつけて走り出した線が、慣性の力学によって自動的に次の線を生み出し、これが次々と果てのない連鎖を呼び起こしていく点では、要素の終わりなき反復が超越的な高みまで到達しようとする衝動を喚起する、中世のゴシックにも通底することから、これらの性格は総じてロマン主義とも概括することができる。

一方で、この走る線の対極に動かぬ線がある。この線は、描かれたというよりその全体が天から落下して、そのまま紙面上に同時付着して、加圧的に固定されたような線である。例えば、直線ならその始まりも終わりも全く判然とせず、本来の筆跡が示す人為的な勢いも力動性も一切感知できないほど硬直し、沈黙したその非人称的な様相から、身体の偶発的な衝動が生むある種の非合理な感性的痕跡が、冷徹に統御された理性によって慎重に排除されているのが分かる。このような力動性を押し殺した静的な均衡によって線全体が構成する“意味”を、感覚の発現よりも秩序立てた“形”として明晰に優先させようとする意志は、“形(FORM)”の力、すなわちバロックとの比較において対極をなすルネッサンスの美学に近い。近世の西洋美学の根源を、大きくルネッサンスとバロックという相対立する二大潮流によって解明したハインリッヒ・ヴュルフリンの『美術史の基礎概念』(慶應義塾大学出版会)もこれを根拠づけるだろう。ルネッサンス自体が中世ゴシックからの逸脱であったことから、総じてこのような線の世界を概括すればロマン主義に対する、まさに古典主義に属するものと考えられる。
近世の15世紀から17世紀に限ればルネッサンスとバロックであるが、これをより大きな美学的視座に立てば、古典主義とロマン主義というふたつの主導的な視座が今も厳然とし存在することは、歴史を知るものは誰もが意識していることだ。
© Nacása & Partners Inc.
この国の激動の60年代に、東大入試が中止された年の偶然から、横浜生まれの岸和郎が京都大学へと進学し、電気工学科から建築学科へ転科した後、大学院では歴史を専攻したことは極めて重要である。「始まりは全体の半分」という古代ギリシアの古い諺があり、かつてプラトンやアリストテレスの著作にも度々引用された。これは計画から一歩進んで、実践に手をつけたら、それは全体の半分をすでに終えたことを意味する。建築家としての人生を古都京都において、歴史を選択することから始めたことは決定的なこととして、岸和郎の現在を形づくっている。そして、古代から始まる日本の厚い歴史の地層に囲まれた中で、選択された歴史とは京大の歴史家、森田慶一から流れる西洋建築史観であり、さらにその中の近代建築を核として、ここから近世のルネッサンス、さらには中世のロマネスクまで遡っていく。京都の厚い歴史的包囲網に対抗すべく、第1のバリヤーとして西洋建築史が選ばれ、その中にさらに第2、第3のバリヤーとして順に、近代建築、ルネッサンス、ロマネスクが重層的に装備された“知”の鎧(プロテクター)となっていく。かつて京大の建築山脈における自らの立ち位置を問われて、岸が計画系ではなく歴史系の森田派に近い古典主義者であると言明していたことを、今はっきりと思い出す。

すでに世界的な名声を得て、海外では数多くの作品集が出版されているが、今回の個展を記念してTOTO出版より出版された日本初の作品集『WARO KISHI 岸和郎の建築』について評されている、時代に流されることないモダニズム精神とは、正統的な古典主義の流れを継承し再解釈したものに他ならず、その古典とはニコラス・ペブスナーによれば「完璧なバランスを達成したもの」であり、優れた文学や芸術作品における古典と同様に「完璧に広く認められているもの」をさし示す。そして、また古典としては時空を超えた不変の共通言語によってのみ表現され、受容されることから、岸の作品集がローカルな日本より早くから、海外で数多く出版されていたことが、この古典性を雄弁に物語る。
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表現者にとって“思想”とは、具体的な方法で視覚的に表現されてこそ思想であるという哲学を、今回の展覧会場の壁面に、整然と秩序立てて配列された30cm角の古典幾何学の正方形クリアアクリルパネルの中に、まるで蝶の標本のように固定された小さなドローイングの集合が示している。恐ろしく細かく、繊細で、精緻な緊張感をもって描かれた、これらドローイングの線はすべて鉛筆によるもので、図像として構成された線の集合全体に及ぶ徹底して均一なその凝集性により、一切のロマン主義的な運動の痕跡を冷徹に排除した完璧に近いバランスをもつ、まさに古典の精神を表現している。ドローイングを封じ込めるフレームレスのメタルポイントのクリアアクリルパネルは、群として水あるいは氷のような膜となり、まるで先述した“知”のバリヤーの視覚化を想起させる。正方形パネルの輪郭線(アウトライン)は透明だが、はっきりとその境界(エッジ)を示し、その秩序ある古典性において、決して時代とは安易に融合しない凛とした貴族主義的な孤高のスタイルを示唆し、これはどの時代においても、古典といわれる建築が必然的に共有してきた特質である。
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岸和郎の京都大学大学院における修士論文が、土浦亀城邸の形態分析であり、この現存する白いモダニズム建築が、秩序なく変容する都市の中でも、いまだ周囲に融合することなく、透明な古典主義的バリヤーを張り巡らせ孤立している様相は、そのまま岸のこれまでの設計スタイルとも静かに共振する。世界へと安易に開くことなく、“知”のバリヤーによって自らの境界を防御し、その中に秩序を保持することは、歴史の中で古典主義が常に堅持してきた不変のスタイルであり、良質な正統的モダニズムもこの宿命的な伝統を自覚的に継承する。展覧会場の中庭には、抽象的な京都の条里制グリッドプレートの上に、繊細なスティールポールに支持された十数個の小さなクリスタルガラスキューブがキラキラと光を放ちながら浮遊している。これらの8cm角の古典的立方体のガラスキューブの内部には、京都の街中に建てられたコートハウス形式の住宅作品などが3Dでレーザー加工された標本のように凍結されている。アクリルプレート内の2次元のドローイングも、クリスタルガラスキューブ内のミラージュのような3次元モデルも、共に集合的なスケール感覚とその形態において、凝集的な“動かぬ線”を展示のコンセプトとして知的に徹底させたものである。表現とはまさに思想そのものに他ならないという建築家の哲学を、岸和郎自らが手がけた300以上に及ぶ創作作品に限らず、この展覧会場すべてにわたり、静かな知的緊張感をもって慎重に透徹させたことは見事と言わざるを得ない。いよいよこの現代建築家が「京都に還る」とき、浮遊したあのクリスタルガラスキューブの中の建築という蝶は、どのように変身して実際の京都の地へ舞い降りるのだろうか。“知”のバリヤーは少しずつ解き開かれていくのか、それとも新たな“知”のバリヤーをまとい閉じながら、歴史の深淵へと降下していくのか。そのスリリングな行く末を見極めるという、未知の愉楽が我々に与えられたことを、今は感謝したい。
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赤坂喜顕 Yoshiaki Akasaka
1952年
宮城県生まれ。
1977年
早稲田大学理工学部建築学科卒業
1979年
同大学院理工学研究科修士課程終了
1979~2004年
竹中工務店
1989~2004年
早稲田大学非常勤講師
2005~2014年
東京藝術大学大学院非常勤講師
2005年~
早稲田大学教授
2010年~
早稲田大学芸術学校校長
2015年~
早稲田大学大学院創造理工学研究科建築学専攻教授
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