ここまで入ってやっと全体の構成が胸に落ちる。まず四角な箱が、入れ子状に、3つ地面に伏せられている。そしてそれぞれには四角い大きな穴が、垂直面(壁)にも水平面(天井)にもあき、そのうち穴にガラスがはまるのは、中間の箱だけ。壁とガラスによって内外が閉じられた空間、普通はこれをもって家とするのだが、その内と外にそれぞれもうひとつ、穴のあいたオープンな箱がある。
 一番内側のテーブルに座って外を眺めると、水平方面を見るなら、3枚の壁の向こうに隣家や庭の桃の花が見えるし、垂直方面を見上げると、3枚の天井というか天井のような水平の壁の向こうに青空がのぞき、雲が動き、たまに鳥が横切る。
 一番内側のテーブルのある空間を室内、一番外側の道と隣家の光景を室外、と認識するのは難しくないのだが、その室内、室外の中間に、二層空間が存在し、これがなんともヘンな印象を与える。その空間に人がいないときはまだしも、人がいても距離感がはっきりしない。その人が歩くと、白い枠の中に突然、姿が現れ、突然、消える。妹島和世の「梅林の家」(03)の居間と台所を仕切る壁にあいた小さな四角な開口で初めて味わった奇妙な視覚体験を、動き付きで大々的に、かつ四方四方で味わうことになる。それも三重に。
 テーブルに座り、施主ご夫妻と藤本と4人でケーキをほおばってくつろぎながら、道路の向こうの町のほうに目をやると、町と、今、自分が座っている場所との関係がよくわからなくなる。壁ひとつなら、手前が内、向こうが外と二分されるのに、3枚もあるから、室内が3段階で外100%になるというか、室内が町にほぐれ出したような、溶け出したような印象。
 内と外のあいだにあるふたつの層がこうした奇妙な印象を生んでいるのだが、そのふたつの空間はいったいなんなんだ。スミカプロジェクトのとき、一室一棟化した分棟のあいだの外部空間が、本当は外部なのに内部のような印象を与える点について、藤本は「内でも外でもない空間」と説明していた。〈ハウスN〉の奇妙なふたつの空間も基本的には同じことだろう。このふたつの空間は、室内と町を「内でも外でもなくしてしまう」効果をもつ。
 私たちが日常的に知っているのは、内部空間と外部空間の2種類だが、そうした経験的空間とは別に、あるいはその奥にその下に、表の経験的空間の素(もと)になるような微空間がある可能性はないだろうか。われながら大胆なことを言っているが、もしそうした未知なる質の空間があるとするなら、藤本壮介はそれを探っているのではないか。
 仮定に仮定を重ねてグラつく足場の上でさらに思考の遠投を試みるなら、未知の微空間の探究には、ホワイトキューブが欠かせないのかもしれない。
 思い当たることがある。Tハウスは平面の実験だった。モクバンは立体の実験だった。このふたつにホワイトキューブは必要なかった。〈ハウスN〉とスミカプロジェクトでは空間(の新しい質)の探究に取り組んでおり、それでどうしてもホワイトキューブという80年前の実験装置が必要になったにちがいない。
 ホワイトキューブは、“純水”のようなもので、微少、微妙な性分を検出する化学実験には欠かせない。

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