特集1/対談

ミニマルを貫くもの 小川晋一都市建築設計事務所 ホームページへ

拠点は広島

―― (司会・豊田正弘)小川さんが建築を志した頃のお話からうかがいたいと思います。
鈴木博之 大学は東京ですよね、日本大学芸術学部。いわゆる工学部ではなくて芸術学部にいらしたのは、期するところがあったんですか。
小川晋一 もともと山口県の岩国近くの出身で、建築の世界もよく知らなかった。とにかく設計をやりたかったので、工学部は「現場」というイメージがあって避けたんですね(笑)。1学年30人くらいの小さな学科で、黒川雅之さん、仙田満さん、内藤恒方さん、添田浩さん、それから構造の佐々木睦朗さんたちが教えていらした。みなさん、30代くらいの若い先生でした。
 それから大学時代の1977年に、交換留学でワシントン州立大学へ行きました。その帰りに、地球の反対をまわっていこうと思って、カナダ横断鉄道経由でヨーロッパのほうを巡ってきました。そのとき、いつも世界を見ながら建築をつくっていきたいと思ったんです。
鈴木 その後、文化庁の派遣芸術家としてニューヨークに行かれる。僕も何年かその審査をやったんですが、なかなかいい制度ですよね。留学だけではなくて、仕事をしなければいけない。
小川 ええ、1年半くらい行って、ポール・ルドルフの事務所とアルキテクトニカに勤めました。そこから帰って、さあどうしようかと。東京でどこかの設計事務所に入ろうかとも思いましたが、調べてみると20代で独立している人がけっこういるんですね。そこで、86年に山口県の実家の近くで、ほんとに田舎のほうで事務所を始めました。ニューヨーク時代にケヴィン・ローチの事務所を訪ねると、湖を見下ろす丘のお城にあるんです。そこで、マンハッタンの仕事をやっている。そういうのに憧れたというのもあります。
 そういうわけでコツコツと始めて。そのうちに広島の仕事が出てきて、広島に拠点をもちました。それから、東京近辺の仕事も来るようになって、2001年からは広島と東京に事務所をもって、両方で仕事をしている状況なんです。
鈴木 しばらく前に、東京都美術館で「生活と芸術―アーツ&クラフツ展」をやっていましたが、ウィリアム・モリスは学校を出ると、ジョージ・エドモンド・ストリートという人の建築事務所に勤めるんです。彼はオックスフォードの建築家だったんですが、だんだん全国区の建築家になって、その頃に事務所をロンドンへ移すんですね。そこでモリスも仕事先が移ったのでロンドンに行き、インテリアの仕事などを始めます。
 そういう流れに対して、小川さんの場合、全国区の仕事も多いんだけれども、広島をさっさと引き払うかというと、そうでもない(笑)。広島に拠点があるというのは、やはり広島での可能性をお感じになっているんですか。
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