私は普段豊島区の東長崎というところで、建築設計とともにコーヒー屋とキオスクを運営し、事務所の入るアパートとその畑の管理をしている。建築そのものの設計だけではなく、その運営や維持管理、商品開発やチームづくり等、いくつもの異なる切り口から建築と社会のあり方について考察し、小さな実践を重ねている。
そんな中、今回の展示の冒頭のステイトメントにある「建築が人々の暮らしをよりよくすることに奉仕するものであるならば」というフレーズについて、日々考えている。
建築は人々の暮らしをよりよくできるはずなのだけれど、建築はそう捉えられているだろうか?建築は社会の諸問題を真摯にうけとめ、切実に応えられているだろうか?
かつてイタリアにプロジェッティスタとよばれる人々がいた。彼らは人間の生活環境をよくすることを目標に、社会の在りようを批判的に見つめ、場合に応じてものやプロジェクトをつくっていた。私が成長なき繁栄の求められる時代に思い浮かべる、建築というスキルを活かす人の姿は、このプロジェッティスタに近い。
街を観察し、日常的にさまざまな人とコミュニケーションしながら、その場所に必要なものやプロジェクトをつくり、建築の知性を生かして実践していく。そういった活動の連鎖が、固定化した制度をほぐし、今の私たちの身体に必要な環境を実現していくのだと思う。
そもそも「生活」という言葉は、生業を営み暮らしていくことを意味していたという。しかし現代の都市は、「ワーク・ライフバランス」という言葉に現れるように、ワーク=生業と、ライフ=暮らしの分離を前提につくられており、そこに私たちの生活と都市構造の乖離があると感じる。
街の木を資源として捉え都市の産業として組み立てる「都市林業」、解体される古家からサルベージしたものを再構成して市場に戻す「ReBuilding Center JAPAN」というHow is Life? で紹介している2つのプロジェクトは、そんな都市を否定することなく、観察し直すことで隠れた資源を見出し、さらにその資源と共にある新たな生業の可能性を提示する。現代の都市生活を再構成するその姿勢は、現代版プロジェッティスタの働きを鮮やかに示している。
How is Life? 展示風景
右から「ReBuilding Center JAPAN」「都市林業」の展示
©Nacása & Partners Inc.
今回展示されている21のプロジェクトが示す、建築の知性をより実践的に都市生活の中に展開する試みは、さまざまなスケールで求められている。最近、暮らす街を反省的な眼差しで捉え直し、快適に使い続けられるように手を入れ、例えば前庭を畑にしたり、イタリア料理屋さんに外の席をつくったり、といった小さな部品を整えることで生活環境を改善していく「街の営繕」と呼ぶ実践を始めた。たとえば「15-Minute City」は、そんな中で感じていた都市という漠然とした広がりを自分の歩幅や暮らしといった身体に引き寄せたスケールによって再構成することへの切実さと、そこから組立てる都市のあり方の展開を見せてくれた。
今回私は展示デザイナーとして、キュレーターが選定したプロジェクトの配置や見せ方を決めていった。「How is Life?」という大きな投げかけへの応答としての場を実現するにあたって、私たちは可能な限り活動されている当事者の話を聞き、共に手を動かして展示品を作成しながら、手探りで展覧会を組み立てた。そんな中で私個人としても日々の実践に大きな示唆を与えてくれる、ここには書ききれないようなたくさんの出会いがあった。
今回の展覧会は、見る人の環境や経験によって受け止める内容の全く異なる展示になったのではないかと思う。会場での体験を通して参加者自らが手を動かし、考え、誰にでも真似できる知性としての建築を発見してもらえると良いなと思う。
一級建築士事務所ara/カルチュラルキオスクIAM
コーヒショップ MIAMIA ©yurika kono