京都でのチャトポン・チュエンルディーモル氏の講演会は、会期終了を一週間後に控えた日曜日の午後に京都造形芸術大学を会場として開催された。まず、キュレーターであるエルウィン・ビライ氏と会場構成を担当した建築家の藤原徹平氏から展覧会についてのイントロダクションがあり、その後チャトポン氏、そしてパートナーであるウォラヌッチ・チュエンルディーモル氏、また京都造形芸術大学の教授でもあるクリエイティブディレクターの服部滋樹氏がプレゼンテーションをおこなった。その後のディスカッションは、同大学の城戸崎和佐氏が司会を務め、藤原氏も議論に加わった。結果的に、建築だけでなく、工芸、デザイン、ブランディングなどそのトピックは多岐に渡ったが、一方で共通する関心として「リサーチ」に一つのフォーカスが当てられていたように思われる。
建築(デザイン)リサーチとは
建築、もしくはデザインの実践的な場において「リサーチ」という言葉が定着していった背景には、90年代以降のレム・コールハースによるOMA/AMO、そしてハーバード大学GSDでの実践や、日本でのアトリエ・ワンによる都市を観察し、建築へと定着させようとする試みが、注目されたことをきっかけとしている。現在我々が「リサーチ」と呼んでいる出自はこの辺りにあるだろう。ただし、建築や都市のリサーチ(当時の呼び名は様々ではあったが)を通して、デザインの根拠を浮かび上がらせようとする試みは、必ずしも90年代以降に特徴的な試みではない。モダニズムの建築家や都市計画家たちは、統計的なデータを駆使して、ニュータウンや公共住宅の建設を進めてきたし、戦後、丹下健三とその研究室による「東京計画1960」などの背後にも、想像を超えた速度で成長していく東京という都市を捉え、そこに形を与えるために、様々な統計データから都市の未来を予測する試みがおこなわれていた。それは人間的スケールを超越したマクロな都市現象のデザインを可能にする、もしくは根拠を与えるために必要な作業ではなかったか。それらを量に注目しながら分析を試みる定量的リサーチだとすれば、自ら観察者となり現象論的に都市と建築、人々の生活を見つめていくような定性的なリサーチの系譜も一方には存在していた。例えば今和次郎(早稲田大学建築学科教授)の考現学や、明治大学の神代研究室と法政大学宮脇ゼミナールによる日本の伝統的な町並みや集落に対するデザインサーベイなどだ。人々の生活の様子や、そこで形成されてきた空間の意味が詳細な実測調査などによって読み取られてきた。そのような事例は海外においても、近代化が実現した都市をよりよく理解し、相対化するためのアプロチとして広く見うけられる。
このようにリサーチは通奏低音のように建築の文脈の中に根付き、設計の根拠が不明瞭さを増す時代や状況において前景化を繰り返してきた。また、こうした建築リサーチの方法論そのものは、建築学に固有のものというよりも、統計学や社会学、文化人類学・民俗学から方法論を借用しながら進められている。社会学者の南後由和は、現在では統計的なリサーチは、かつてのような推測から、コンピューターを用い膨大な量のデータを複雑な計算式で解くシミュレーションへと進化しより専門的な知識を必要とするようになってきており、個人の設計事務所よりも大規模な事務所や大学、シンクタンクで扱われるようになっていると指摘する(同時に処理速度の進化、インターフェースの発達によって誰でも扱いやすいような状況が生まれつつある)。一方で、社会学・文化人類学的なリサーチ、つまり観察者として世界を客体化・構造化するという行為は、デザインの鮮やかさへとつながる重要なプロセスとして認識されている。作家的振る舞いを取る建築家のリサーチでは「リサーチ項目の設定自体が設計の対象であり、固有性を帯びる」とし、この構造化の仕方に建築家の作家性を見出している(※1)。
チャトポン氏のリサーチもそのようなものとの連続性の中で考えることができる。アメリカから戻った時、バンコクにはモダニズムか風土的建築かという議論しか存在していなかったという。そこで氏は「Bangkok Architectural Research」という組織を立ち上げ、タイの新しい建築タイポロジーを描き出そうと試みる。今回紹介されているリサーチの結果は、そうして10年にわたって(秘密裏に)続けられてきたものの一部だ。チャトポン氏のリサーチが示すのは、現場を渡り歩きながら都市をつくり上げていく建設労働者、その資材を運ぶであろうトラック運転手を相手にした高速道路沿いのマーケット、そうしてモノが運ばれることで発生する木製のパレットを加工し家具へとつくり変える数メートル幅の土地に建つ違法家具店といった、人々のインフォーマルな都市空間への介入だ。彼はそれを「basters(バスターズ)」と呼ぶ。誰からも祝福されることはないが、近代化を受け入れたバンコクが生み出した私生児たち。チャトポン氏は、ここに現在の巨大開発の途上に漂うバンコクの日常を見出す。チャトポン氏によって設計された建築には、これらリサーチによって抽出された空間の構造がパラフレーズされ、その日常を自身の設計内に取り込もうと試みられている。ただし、作品とリサーチを等価なものとみなしていると本人が述べているように、必ずしも設計のためにリサーチが実施されるわけではない。リサーチは、暴走するバンコクの都市的な状況にある有意味な構造を見出す/与える行為として、建築家チャトポン氏の作家性と直結している。リサーチを通して何にどのような構造を与えるかという行為と、抽象的な空間を構造化し、意味(機能)を持った場所をつくり出す設計という行為はこうして同じ位相に置かれている。