レポーター=佐藤樹典
TOTOギャラリー・間の30周年記念展「アジアの日常から:変容する世界での可能性を求めて」に関連して、全国5大学で講演会が企画された。その5大学の1つとして、沖縄の琉球大学で11月2日に大西麻貴さんと百田有希さん(以下、o+h)による講演会が開催された。
学生時代から注目を浴びてきたお二方は、 自身が建築家を目指す原点となったという作品、福岡市アイランドシティ内に建つ「地層のフォリー」(2009年)と呼ばれる東屋から話を始めた。この作品は、平たい円柱の内部から様々な立体を抜き取ったような構成をしており、内部に大小様々な空間が設計されている。この作品は、単純な構成であるが様々なシーンをつくり出している。狭い空間で本を読むことができ、天窓から身を乗り出す人は地面に掘られた穴から顔を出した動物のように見えるなど、楽しい体験が数多く提案されている。
そして、話は「二重螺旋の家」(2011年)などの住宅を経て小豆島のプロジェクト、「福智町図書館・歴史資料館コンペ案」(2015年−)など公共のプロジェクトへ進んでいった。「二重螺旋の家」では、チャーミングな路地を敷地の周りに発見し、それを立体的に構成して路地の魅力を建築物の中に取り込んでしまう。小豆島のプロジェクトは、現在も進行中であるが、一人の女の子をきっかけに、その島のコミュニティに入り込み住民の記憶やビジョン、つまり「経験」をすくい上げながら必要な建築を提案していく。 このプロジェクトを通してo+hが目指しているものは、島にいくつもこのようなプロセスを経た建築をつくること、そして、島全体を島の住民の「経験」を追体験できる建築とするものなのだと解釈した。「福智町立図書館・歴史資料館コンペ案」では 、設計を行う前に、地元の中学生たちに「将来ここに工房やキッチンができたらやってみたいことを提案してみよう」と問いかける。すると、中学生たちは次々と、どんな楽しいことがここで起きるかを発見し始め、o+hはそれらのアイディアを編集し、建築物として立ち上げる。ここでも、中学生とのワークショップを手がかりに、住民が持つ未来へのビジョンに形を与えている。
プロジェクトが抱えるストーリー、現れた空間から想像できる生活の豊かさ、それらo+hが提案する楽しさに、講演会参加者は共感し会場は一体となっていた。おそらく、住宅のお施主様も、ワークショップに参加した島や町の住民も、同じ体験をしたに違いない。しかし 、お二方が居場所や経験としての建築を設計するのは、共感を得ることが目的なのではなく、建築の強さをそこに見出しているからである。
建築の強さ、それこそがこの講演会の主題であり、建築の可能性に他ならない。o+hの言う建築の強さ、その原点は、「地層のフォリー」にあると、百田さんは語っていた。屋根があってベンチがあれば、それで機能は満たされる。しかし、形態がその機能に追随するだけでは建築の強さは得られない。この場所と形態・機能の関係性を発見した瞬間に、「この建築(物)がそこにあっていいのだ」と百田さんは感じたと言う。建築の形態と機能のみの関係性を超えたところに存在する、その何ものかにo+hは、建築物がこの場所にある有意性、つまり強さを見出した。そこから、o+hの「敷地と建築が結ぶ特別な関係」を模索する旅が始まった。それが「二重螺旋の家」などの初期のプロジェクトである。
しかし、お二方の足取りは、ある時点で方向を変えているように思える。ある時点以降、建築物の強さを引き出す場所のストーリー性をその場所に住む人間との関わりの中に発見する、という方法に変化している 。小豆島と福智町のプロジェクトが良い例である。今まで自ら発見してきた場所のストーリー性を住民の記憶や未来へのビジョンの中に見出すことによって、予想もしなかったストーリーが現れ、それに形態や機能をつけていく。つまり、 場所のストーリー性は、住民から浮かび上がってくる偶然(あるいは必然)に託されている。質疑応答でも話題に上がっていたが、お二方にとって住民との関わりは、賛成を取り付けるものではなく、その場所における建築の在り方をさぐる道筋となっている。そして、その形態の決定プロセスは、膨大な数の模型を制作する地をはうような奮闘によって成り立っている。このプロセスについては、TOTOギャラリー・間の展示を見ても明らかである。
講演会の最後に、お二方が現在活動の拠点としている事務所の写真を見せてくれた。東京の片隅に立つ、窓や扉のない、夏は暑く冬は寒い、二面が狭い道路に臨む事務所である。居酒屋と勘違いした近所の人がふらっと入ってくることもあるという。印象的だったのは、百田さんが近所のおじいさんに捕まり、話を聞かされている写真である。この写真は、o+hの進む道筋を予感させる一枚だった。
東京を拠点とするo+hは、成熟した社会の中でどのような困難と戦っているのだろうか。o+hは、人間との関わり合いに巻き込まれることによって場所のストーリー性を発見し、それらの ストーリーと建築の関係性を膨大な数の模型によって編集する作業を通して究極の建築的特殊解を生んでいる。アジアでも最も成熟した場所の一つである東京で、その日常、つまり人間の関わり合いやその経験という形の無いものに接近しておきながら、建築として物質的にそれらを再構成していくところが、o+h最大の魅力である。東京のような場所では、人間の生活を一般化して捉え、建築物を効率良く生産することを優先してきたように思う。お二方の作品は、そのような建築物を生産し続けている社会に疑問を投げかけていると言えるのではないだろうか。結局のところ、o+hにおける建築の強さは、その場所で暮らす人間同士の多様な関わり合いを受け入れ、それらをより豊かな状態にしていく過程から生まれてくるのだと思う。その可能性を追求するお二方の姿勢は、ここ沖縄でも160人を超える聴衆に「希望」として受け止められていた。また、この会に参加された方の大半は学生であり、質疑応答の様子からは、o+hの言葉を一人一人がまっすぐに受け止め、心を揺さぶられていたように感じられた。