カメラを手に竣工当時の香川県庁舎と対峙する丹下 1958年頃撮影 撮影者不明
当時、丹下は「石が中世の感動をよびさましたように、コンクリートは現代の感動を人びとに伝えてくれるにちがいない」と考えていた。
丹下健三が自身の作品を自ら撮影したコンタクトシート。(写真は「広島平和会館原爆記念陳列館」の施工現場風景)
広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年)1952年撮影 ©丹下健三
墓地の中から立ち上がる広島平和記念公園陳列館。この敷地はもともと墓地であった。墓石自身原爆に照射され焼けている。その墓を守る人もいなくなり、多くは無縁仏になった。
住居(自邸)(東京都世田谷区、1953年) 1956年撮影 ©丹下健三
丹下がヘリコプターにて上空より自邸を空撮した写真。
愛媛県民館(愛媛県松山市、1953年) 1954年撮影 ©丹下健三
敷地背後の松山城の城山より俯瞰した写真。
広島平和会館原爆記念陳列館(広島県広島市、1952年) 1955年撮影 ©丹下健三
1955年8月6日の原爆慰霊祭に集まった群衆を捉えた写真。
東京都庁舎(東京都千代田区、1957年) 1957年撮影 ©丹下健三
水平垂直とあおりを基本とする建築写真の作法に反し、カメラを斜めにかまえて撮影。
倉吉市庁舎(鳥取県倉吉市、1957年) 1957年撮影 ©丹下健三
RC造において木造の木割りを当てはめ、繊細な表現を追求した。
香川県庁舎(香川県高松市、1958年) 1958年撮影 ©丹下健三
香川県庁舎南庭から低層棟ピロティ(右)と高層棟(左)を捉えた夜景写真。
繊維業会館(設計:ル・コルビュジェ、インド、アーメダバード、1956年)
1957年撮影 ©丹下健三
サンパウロ・ビエンナーレの帰路に立ち寄ったインドでコルビュジェ建築を見学した。
マサチューセッツ工科大学(MIT)製図室(丹下スタジオ)の風景(アメリカ、マサチューセッツ州)
1959年撮影 ©丹下健三
丹下は1959年から半年間、マサチューセッツ工科大学(MIT)の客員教授を務めた。この丹下スタジオで検討された海上都市案が、後に「東京計画1960」に進展してゆく。
丹下健三ポートレート 1953年頃撮影 撮影者不明
成城の自邸の工事現場を訪れた際に撮影されたもの。