講演会レポート
マニュフェストなしの建築
レポーター=鈴木丈晴
手づくりの建築
スタジオ・ムンバイを率いるビジョイ・ジェインの講演を聴いた。講演でビジョイ・ジェインは、まずスタジオ・ムンバイの本質について、次に具体的なプロジェクトについて語った。彼の言葉からは、ゆったりとした時間の流れが感じられた。説明による理解というよりも、共感が会場を包んだ講演会だったように思う。スタジオ・ムンバイが建築家と職人の共同体であることや、彼らの一貫した設計施工のプロセスから生み出される手づくりの建築には、とても複雑な魅力があると思う。それを言葉で説明するのは難しいが、不思議と共感によって即座に理解できるものでもあるのだ。
反マニュフェスト
ビジョイ・ジェインはまず、スタジオ・ムンバイには、マニュフェストがなく、自然発生的なのだと語った。建築からマニュフェストをなくしても最後まで残るもの、それが、建てるという「プラクシス」だろう。マニュフェストがないこと、それは、決まったプロセスから自由であることだ。ビジョイ・ジェインによると、身のまわりにある隠れた価値を発見しながら進み、完成図がわからないままつくっていくプロセスには、期待感があり、わくわくするという。そんな言葉からは、つくる楽しさが伝わってくる。そこでは、プロセスは自然発生的なものとなる。ビジョイ・ジェインは、インドの風土の中にそんな自然発生的なイメージをたくさん見つけている。その視線の先は、ノスタルジーではなく、インフォーマルやカオスだ。例えば、紹介された「ポケットマン」は、インドの庶民たちで、無料で手に入れた西洋文化由来のTシャツに、地元伝統のポケット(和服の懐のようである)を取り付けて、使いやすいように自由にアレンジしている。ここにあるのは、状況をそのままに受け入れながらポジティブに利用していく人間の自然体の姿だ。まさに、自然発生的であり、力みがない。
つくることの再構築
身体感覚で直接的に建築をつくること、これが、スタジオ・ムンバイのスタイルである。材料と人、技術と知恵が集まるスタジオ・ムンバイの中庭がその象徴だ。そのスタイルの源流は、効率であるらしい。図面作業は時間もかかり、少人数でしか共有できないが、モックアップや模型をつくりながら考えたほうが、早く進み、皆が参加しやすく、効率がいいという。この創造に対する自然さの精神は、「ポケットマン」に通じているように感じる。ここには、建築という行為を、率直に見直し、あるがままに再構築しようという姿勢があるのではないか。スタジオ・ムンバイは、そうした取り組みに形を与える枠組みであり、実験の場であるように見える。
物質性を超えて
人々や伝統、技術と関わり合うプロセスを通して、建設されたプロジェクトが紹介された。「仕掛けるのではなく受け止めていく」ことによってつくられていく建築には、まるで建築に体験が織り込まれているようだ。例えば、「コッパ-・ハウスⅡ」の説明で、モンスーンが4ヶ月続き、激しい雨に建物は溶けてしまいそうなほどだということを聞けば、イメージが呼び起こされ、銅葺きの屋根材や、盛土の上の雨の建築ということが自然につながっていく。井戸が中心にある「ターラ邸」は、水の確保の重要性、水に対する伝統的意識、井戸がくぼ地を利用したこと、井戸を掘った人々の記憶と結びつく。このような建物にまつわる物語は、論理を超えて、複雑に重なり合っており、簡単には要約できないものだ。しかし、それらは複雑なまま、共感を通じて自然に体に入ってくる。スタジオ・ムンバイによる自然体の「プラクシス」は、完成されるものではなく、続いていくものだ。今回のTOTOギャラリー・間の展示では、ムンバイのスタジオを再現することによって、体験そのものを伝えたいという。また、これから建設される東京国立近代美術館でのプロジェクトでは、小さなピースが集まってできる東屋によって場所がつくられるようだ。身体による「プラクシス」には、人間に共通した信頼感があると思う。そこには、場所や時間を超えた普遍的な希望があるように感じている。
鈴木丈晴 Takeharu Suzuki
2011年~
京都造形芸術大学非常勤講師
2011年~ 芝浦工業大学非常勤講師
2001年
「住宅のル・コルビュジエ展」(東京大学安藤忠雄研究室チーム)
2001年
『ル・コルビュジエの全住宅』(TOTO出版、共著)
2011年
大阪府木津川遊歩空間アイデアデザインコンペ優秀賞