展覧会レポート
建築家=建築を通して社会に関与する者
レポーター=川添善行
2012年6月、ムンバイの空港に降りたった私を迎えたのは、塊となった湿度のボリュームであり、その濃厚な空気感はムンバイの社会そのものを表しているように思えた。ムンバイの人口の半数はスラムに暮らし、例えばダラヴィスラムには2平方kmの土地に100万人近くが暮らしているとされる。そうしたいわゆる最低限の生活が行われている一方、世界有数のインド人の富豪は、ムンバイの街中に150m以上の高さの自邸を建設する。人々がひしめき合い、路上販売にいそしむ一家がいるすぐ傍らには、1杯1000円ほどもする紅茶を嗜むためのラウンジが存在する。この国は、見る者の立ち位置によって、見え方が大きく変わる。建築家とは、社会をいかに見るかがその創作に大きく影響する存在である、という点でこの国のあり方とどこかシンクロしているとも考えられる。
そのとき、運転手はとても苛立っていた。当初予定していた、タージホテル前から出航するフェリーがモンスーンのシケのために欠航となり、ムンバイから4時間近く運転させられたあげく、目的地の正確な場所も分からぬまま、瀟洒な住宅街の中、何度も来た道を往復する。車内には、あきらめの気配が満ち、このまま目的地には辿り着かないのでは、という気持ちが頭をよぎる。そのとき、すこし先の木塀が開け放たれ、手招きをする人物が目に留まる。車がその門を通過すると、目の前には、木立の中に点在する建物たちが視界に入ってくる。実物大のモックアップと思われる製作物、軒先で静かにノミをうつ石工、色とりどりの材料のサンプル。そう、ついに目的地、スタジオ・ムンバイのワークショップに到着したのである。
スタジオ・ムンバイのワークショップ
© Studio Mumbai
2012年7月、東京の快適な地下鉄を降りてすぐのビルの一角。それが「スタジオ・ムンバイ展 PRAXIS」の会場である。ビジョイ・ジェイン氏に聞くと、アリバグのワークショップがそのままに東京に来ている、という。あの日、ワークショップを訪れたときの空気の質感。そのときに刻まれた圧倒的な量感を持つ私の記憶と、東京の近代的な街並みとがどうしても焦点を結ばないまま会場に入った私は、その心配が杞憂に終わることをすぐに思い知ることになる。会場にちりばめられたワークショップの断片は、あの日、現地を訪れた私の興奮をそのままに思い起こさせるのにじゅうぶんであった。
TOTOギャラリー・間に再現されたワークショップ
© Nacása & Partners Inc.
建築家とは、ただ建物を設計する職能のことを指すのではない。建築を通して社会のあり方に関与する者をさす、と私は考える。スタジオ・ムンバイが職人たちと一緒に創作を行うのは、ただ品質の良い製作物を作るためだけではない。設計という行為を通して、職人たちに新しい機会を創出し、設計者と対話することを教える。カースト制度が今も残るインドにおいて、そして、多数の民族が今も独自の文化と言語を色濃く残すこの国において、分業ではなく、横断的な仕事を進めること。そのアプローチ、設計という行為への肉薄の仕方、建築を社会へと接続する回路、その一連の思考と体現とが彼らの創造行為なのである。
スタジオ・ムンバイの仕事を、手作りの良さや、材料のあたたかみ、という視点でのみ捉えるのは、彼らの創造性を矮小化することを意味している。彼らのスタンスを単なる地域主義や優しい懐古主義として捉えるのは、見る側の能力の限界を露呈することである。彼らが捉えようとしている「設計」という作業の本質、そして、建築家が社会への関わりを持とうとするときの態度。それらは、たいへん知的で、たいへん過激なのである。
私はこうした建築を理解するために、ローカリティとユニバーサリティという考え方が重要だと考えている。建築とは、ある特定の場所に建つ。その場所には特有の気候があり、その周辺には特有の文化を有する人々が暮らす。そして、その圏域で手に入れることのできる材料がある。ローカリティとは、建築においていかに場所性が発現しているか、そして、それがいかに建築を構成するかという視点である。同時に、建築とは人々の意志や考え方の現れである。その空間は時にある種の精神性を帯び、そこには人類共通の美意識や崇高さ、宗教性といった普遍性、つまりはユニバーサリティが存在している。建築とは、このローカリティとユニバーサリティという2つの相反する価値の中に存在する。
私たちが、スタジオ・ムンバイの歩む道程から学ぶことはたくさんある。地域のルールや作り方を尊重し、その延長線上に世界への発信を行うこと。職人たちとの対話を積み重ねることで、近代建築が見失ってきた建築の意味性を取り戻そうとすること。これらはつまり、ローカリティとユニバーサリティの新たなバランスを見いだす作業であり、この真摯な作業を経てはじめて、建築家は社会へ介入する術を手にすることができる。こうしたスタジオ・ムンバイのアプローチこそ、私たちが学び取るべき最大のヒントではないだろうか。
川添善行 Yoshiyuki Kawazoe
建築家。1979年生。オランダから帰国後、東京大学 景観研究室 にて内藤廣に師事。現在、東京大学 川添研究室(建築設計学)主宰。川添善行・都市・建築設計研究所 代表。Dr (eng)。 現在、インド有数の都市ハイデラバードにて、インド工科大学の設計を行う。
東京大学川添研究室