TOTO

シンポジウムレポート
セッション2:2010年11月20日(土)
世界で最もジェネリックな都市において、世界の果てについて思いをはせること
レポーター=今村創平


世界の果てについて思いをはせること。

未踏の大陸はとっくの昔に消滅し、くまなくネットワークが張り巡らされ、均質な情報とグローバルマネーがあまねく世界を覆い尽くし、時として暴力的に振る舞うこの時代にあって、未だ見ぬ世界の果てはあるのだろうか。

そして、グローバル・エイジの恩恵を享受しつつも、この時代に特有の閉塞感に息苦しさを覚え、今日以降の可能性に賭けること。それは可能であろうか。
TOTOギャラリー・間の25周年を記念し、またその時宜に運営組織の改編がなされたのに併せ、「GLOBAL ENDS」というアンビシャスなタイトルを持つ展覧会と国際シンポジウムとが企画された。このタイトルには、「グローブ=地球のエンド=果て」と「グローバリズムの終わり/を超えて」といった二重の意味と希望が込められているのだという。

2週間ほど前に、同じく東京は六本木ヒルズにて開催された、コロンビア大学主催の国際シンポジウムがあり、その際にパネリストの一人であったOMAニューヨーク代表の重松象平さんと話をした。彼は、「東京は世界で最もジェネリックな都市である」と言っていた。ジェネリック(無印)・シティとは、彼のボスである、レム・コールハースが現代都市の特徴を述べる際に好んで使う彼のジャーゴン(造語)である。

「GLOBAL ENDS」に込められた意味を会場で聴きながら、世界で最もジェネリックな都市で、こうしたテーマでシンポジウムが開催されるというのは、いくぶん皮肉なことだなと思われた。
「GLOBAL ENDS」のシンポジウムの2日目は、3つのパートから構成されていた。まずは展覧会の出展者のうち3名の建築家によるプレゼンテーションがあり、引き続き建築史家であるケン・タダシ・オオシマさんの司会による彼ら3人との対話があり、最後に同じくケンさんと運営委員会の3名とによる対話があった。
パウロ・ダヴィッド氏 ©Nacása & Partners Inc.
ケリー・ヒル氏 ©Nacása & Partners Inc.
スミルハン・ラディック氏 ©Nacása & Partners Inc.
ケン・タダシ・オオシマ氏 ©Nacása & Partners Inc.
7名の展覧会出展者のうち、この日プレゼンテーションを行ったのは、順にパウロ・ダヴィッド、ケリー・ヒル、スミルハン・ラディックであった。パウロ・ダヴィッドは、ポルトガルのマデイラ島を拠点としており、まずはその地の水平線や岸壁などの写真を映しその独特な地理的状況で聴衆を圧倒し、引き続きそうした切り立つ崖地に水平面(彼いわくプラットフォーム)を据えた住宅、レストラン、アートセンターなどの彼のプロジェクトを紹介した。厳しい環境に置かれたそれらの作品は、環境に同化しつつ、簡潔な造形と素材感とがもたらす存在感とが、彼の試みの確かさを保証していた。彼が住むのは、モロッコの西の遠い沖合にあるまさに孤島であり、そこの壮絶なまでに美しい風景と向かい合う彼の姿勢は、まさに「GLOBAL ENDS」を体現していると思われた。

続く、ケリー・ヒルは、住宅からはじめ、東南アジア各地の高級リゾート施設を中心とした彼の充実したプロジェクト群を披露した。彼は、自らがモダニズムの教育を受け、そののちキャリアを積む中でアジアのコンテキストを取り入れていったと解説したように、彼の建築には現代的な(グローバル)な感性と、地域に根差した配慮から来る落ち着きとが同居している。とはいうものの、東南アジアとひとくくりにしても、実際にはネパールの高地とインドの内陸部とでは、気候や慣習は全く異なるのであって、そうした中ローカルなエキゾチズムを緩用しながらも、グローバルに移動する宿泊客を満足させる彼の手腕には、肯定すべきものがある。

3番目のチリのスミルハン・ラディックは素材を生かした住宅、レストランなどを作りながら、一方でアート作品ともいえるものも手掛け、それらにはある物語が認められる。例えば、「The Boy Hidden in a Fish」とのタイトルを付けられた今年のヴェニス・ビエンナーレの出展作は、数メートルの大きさの丸石に、巨木が突き刺さっている造形であり、チリで加工をし、船でヴェニスに運び込まれた寓意性の高い作品だ。いくぶん過剰に意味を持たせて素材を扱う彼の手法は、建築作品でもインスタレーションでも共通のようだ。
引き続き、3人の建築家とケン・タダシ・オオシマさんとの対話が行われた。それは、こうした個別の営みが、「GLOBAL ENDS」というこの機会に集められたことの意味を問うものであったが、パウロ・ダヴィッドがいみじくも「プロジェクトに取り組んでいるときには、それに没頭している」と証言したように、それぞれの建築家はその活動の広い文脈における意味といった解答を持ち合わせているわけではない。なので、このセッションの要点は、話をリードしたケンさんの問いかけの言葉に集約されていたので、そのうちのいくつかを紹介したい。回答や結論は述べられていないが、この展覧会および、シンポジウムが投げ掛けた問題がそこには浮かび上がっていた。

まずは、このように多様な場所から、多様なプロジェクト、多様な考えが集まったことが素晴らしい。まさに、「GLOBAL ENDS」というテーマに沿っている。だが、こうした建築家の試みは、9.11、リーマン・ショック、最近頻発する自然災害の後、何か意味を変えているのであろうか。かつては、ロンドンなどの場所が世界の中心的役割を果たしていたが、今日では、例えば、ケリー・ヒルのいるシンガポールが、アジアにおけるあるセンターの役割を果たしている。また人々の移動が加速する中で、世界をどう捉えればいいのだろうか。ネット化も進む中で、都市とはどこにあるのだろうか。かつて、ケネス・フランプトンが批判的地域主義を唱えたが(ケンさんはフランプトンの高弟である)、彼らの試みはその延長にあると位置付けてよいのだろうか。
ディスカッション ©Nacása & Partners Inc.
締めくくりのセッションでは、引き続きケンさんの司会のもと、新しくTOTOギャラリー・間運営委員に就任された、岸和郎さん、内藤廣さん、原研哉さんとの対話が行われた。岸和郎さんは、この企画を通じてこうした未知の建築家の活動に触れることによって、改めて世界の広さを実感したという。またこうして建築家がそろうことによってある力強さが生じたと同時に、あるテーマのもとに入れられてしまうと、建築が制作者自身の意図とは異なる形で理解をされてしまう危惧があることを指摘した。内藤廣さんは、それを受けた上で、エドワード・サイードの知識人の役目に関する考察を引用しつつ、リスクがあるからこそこうした企画が意味を持つと主張した。また、このように集まって繋がることの意味は尊重しつつも、もっと各自が孤立する必要があるのではないかと、自省しつつ語った。そして、話が旅の重要性へと展開する中で、建築が依って建つのは土地であり、人間が新しく変わるためには、新しい土地の意味を見つけなくてはならないとした。原研哉さんは、ニュー・ノマドというべき、世界中を移動し続け、場所ごとで仕事を続ける、新しい人種が生まれていることを披露し、それが新しいカルチャーを生み出しているとした。そして、世界の各地で空の様相は異なり、その下にそれぞれの建築があるのだが、今回はそうしたいろいろな空を集めて、ポスターのデザインとしたのだそうだ。
岸 和郎氏 ©Nacása & Partners Inc.
内藤 廣氏 ©Nacása & Partners Inc.
原 研哉氏 ©Nacása & Partners Inc.
以上、4時間を超えたイベントで発せられた多くの言葉のうち、私が特に印象に受けたごく一部を紹介した。原研哉さんが、今回の展示を、中国にある圧縮された固まった茶葉にお湯をかければいくらでもお茶が作れるように内容の濃いものだと形容していたが、この日のシンポジウムもまたそうであった。そして、この場で語られた言葉を超えて、さまざまな考えるヒントがちりばめられていた時間であった。
総括 ©Nacása & Partners Inc.
(追記 慣習的に外国人の方々には、敬称を略させていただいた。日本人の方々とは違いが生じているが、この方が自然と思われたためである。)
今村創平 Souhei Imamura
1966年生まれ。建築家、アトリエ・イマム一級建築士事務所主宰。早稲田大学卒。AAスクール、長谷川逸子・建築計画工房を経て独立。ブリティッシュ・コロンビア大学大学院兼任教授。芝浦工業大学大学院、工学院大学、東京理科大学などにて非常勤講師。作品=《南洋堂ルーフラウンジ》、《神宮前の住宅》、《大井町の集合住宅》、《富士ふたば幼稚園》など。共著=『現代住居コンセプション』、『Archilab Japan 2006』、など。
TOTO出版関連書籍
著者=ケン・タダシ・オオシマ
登場建築家=トム・クンディグ、石上純也、ケリー・ヒル、ショーン・ゴッドセル、スミルハン・ラディック、パウロ・ダヴィッド、RCRアランダ・ピジェム・ヴィラルタ・アーキテクツ