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原 広司展  ディスクリート・シティ
Hiroshi Hara   Discrete City
2004 12.02 - 2005 2.19
 
講演会 離散性(ディスクリートネス)について
2004年12月15日(水) 18:30〜20:30
津田ホールにて開催
持続的に深められた構想と信頼
レポーター:今村創平
<ディスクリートな社会>は、離散空間を理想化して解釈し、そこではすべての個人が自立しており、そうした個人によって最も多様な集団が誘起される仕組みを持つユートピア的社会である。特に解釈の上では、ここに現れるすべての部分(さまざまな集団)は対等であるとすることが重要であろう。(*1)
12月中旬のある夕方、東京、津田ホールにて建築家原広司と小説家大江健三郎の対談が行われた。当初、この企画は原広司一人の講演会として予定されていたのだが、大江健三郎の快諾により急遽対談となったという。この変更の知らせは、日が近づいてからなされたにもかかわらず、広い会場は若い人を中心に埋め尽くされた。当然であろう。原広司の講演会だけでも押しかける者は多いだろうに、ノーベル賞作家であり日本を代表する知識人がそれに応答するというのであれば、期待せずにはいられない。

まずは原広司によって、展覧会のタイトルにも使われている「ディスクリート」という概念およびモンテビデオでの活動について解説がなされた。それはこの日の対話のベースともいえる内容であるものの、展覧会および出版により詳しく知ることが出来るのでここでは省略する。興味深かったものをひとつ挙げると、大江健三郎の小説に登場する地名を落とし込んだ、作家の出身地大瀬村の地図である。大江文学の空間が建築家によって翻訳されることで、小説家のイマジネーションと建築家の空間認識が呼応する様が示され、それはこの二人の関係をよく象徴していた。

原広司による数十分のレクチャーにつづいて両者の対談となったが、この組み合わせは偶然成立したというわけではなく、二人には若いときからの親交があることはよく知られている。雑誌での対談やお互いについての文章もこれまでに発表されており、また家族ぐるみでも長年にわたる交流があるという。それぞれの分野で超一流とされる二人が充分長い時間を共有し、10年程前までは世界的作曲家武満徹もそこに加わって深い影響を与え合っていたという事実は、うらやましい関係というほかはない。

このようにお互いの仕事をよく了解しあっている二人の対談は、相手への尊敬と信頼を隠さないものであった。(例えば、大江健三郎は、最近外国の新聞社から影響を受けた本を聞かれ、原広司の『集落の教え100』(*2)を上げたというエピソードも披露された。)しかし、親密であっても馴れ合った素振りは決して見せず、とりわけ大江健三郎は周到に用意されたコメントをきわめて明確に発言し、それには前もって原広司の今回の著作『ディスクリート・シティ』を読み込んでいることがうかがえた。

対談中の原広司氏
対談中の原広司氏
対談中の大江健三郎氏
対談中の大江健三郎氏
対談風景
対談風景
原広司は、「ディスクリート」の訳語である「離散的」という言葉が、往々にして単に「ばらばらな状態」と受け取られがちであるが、そうではなくそれぞれの部分が自立しながらも、お互いに接続したり(connectability)離れたり(separability)することが可能である状態であることを強調していた。図らずもこの二人の関係も、それぞれが優れた仕事をしている自立的な存在であり、お互いに「ディスクリートな関係」であると言えよう。

大江健三郎は、原広司ほど世界の集落を見て歩いたものはいないのだから、その成果を何らかの形で実現するようにとアドバイスし、それが今回のモンテビデオの実験住宅として結実された。そして、強く想像力を喚起する原広司の言葉は抽象的ではありながらみな具体的であって、それは多様性を唱える者の多くは「単一ではない」という説明にとどまるのが常だが、原広司には自ら多様性を体感している強みがあるという。

対話の焦点となった<ディスクリートな社会>とは、冒頭に引用した一文を読んでもわかるとおり、民主主義的な状況を指してもいる。つまり、<ディスクリート>という概念は、建物の配置や都市の構成に関するだけではなく、我々の社会の成り立ちを考慮に入れた、きわめて大きな構想といえる。大江健三郎は、日本の社会は自立しようとするものをみなで潰すという、戦後を代表する政治学者丸山真男の指摘に言及した。そして、彼らの世代にとって民主主義的社会とは努力の上に獲得されるべきものであったし、戦後入ってきたアメリカの食料に対し民主主義の味と香を発見し、それに強い憧れを抱いていた。

普段は自分探しが一番の関心である若い世代にとっても、社会のあり方を構想するというスケールの大きなこの夜の話には、大いに鼓舞されるものがあっただろう。一方で、アメリカ文化なり民主主義にどっぷりとつかっているこの世代には、あらためて民主主義に幻想をいただくことは容易ではないこともギャップとして感じられた。

モンテビデオの実験住宅は、決して最近の思いつきで作られたわけではなく、30年ほど前に建てられた「自邸」がその最初の実践であったと回顧されたように、この独創的な建築家が、持続的に深めつつ考えてきた成果なのである。このような粘り強い探求の姿勢こそが、後から来る世代が受け継ぐべきものなのだろう。

大江健三郎は、話の締めくくりとして、今年(対談時)二つのドアが新しい時代の予感を示したとした。一つは話題となったライブドアであり、新しいIT企業が古い体質の時効を明らかにした。一方、『ディスクリート・シティ』の中のエッセイの一つ目の項目はドアについての記述であり、原広司は開閉可能なドアという機構を、<生きている空間のシンボル>とみなしている。そしてこのエッセイは「新しいドアの提案に向けて」との一文で締めくくられている。私は、この実り多い対談を聞き終えて、私たち一人ひとりが、「新しいドア」を提案しなくてはいけないとの思いを強くした。
*1:原広司著 「ディスクリート・シティ」TOTO出版
*2:原広司著 「集落の教え100」彰国社
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